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グローバルスタンダードと国家戦略

坂村健
NTT出版: 2300円 お勧め指数: □□□□□ (5)

 グローバルスタンダートと呼ばれるものはアメリカンスタンダードなものが多く、その導入を無批判に主張するマスコミの論調にのってはいけない。グローバルスタンダードにも背景や歴史があり、今後の流動性を含めて考える必要がある。スタンダードの導入ばかりに注目されれば、そこで思考停止がおき、独自のものをつくらなくなる。


"結論を先に言うと、独自技術開発をやめたときがおしまいなのである。日本がまだ生きながらえているのは、このことを勘違いしている人たちにもめげずに、独自技術の開発を進める人々がいたからなのだ。"

 感動的な言葉である。私はプロジェクトXが大嫌いだが、上記の言葉の意味は理解することができる。脚色された物語の根底にあるのは、独自技術を持つことについての使命であることぐらい、技術屋の端くれにいる私にもわかる。


”独自技術の開発を進めるのは、余裕が必要である。あまり競争が激化すると余裕がなくなり、かえって悪い方向に行く場合があるからだ。とくに独創的なものに近づけば近づくほどその傾向がある。
 それでは米国はどうなのか。競争しているではないかと言うかもしれない。それは米国の表面しか見ていない人の意見である。米国の場合はまず軍事研究があり、それが研究開発にもたらしている余裕は非常に大きい。競争が始まるのは、そこで確立された技術が民間転用される段階からだ。米国はそのあたりのサイクルを明らかに戦略的に組み入れている。軍事研究の成果を、偶然どこかのベンチャーが民間転用して大当たり、などという甘い話しではない。なぜなら、米軍の軍事戦略には、平時の経済競争力まで含めての国の安全保障という考え方がしっかり根づいているからだ。”

 感動な方法である。アメリカにはどうやらアウグストゥスがいるらしい。マスコミが批判口調で「パスク・アメリカーナ」と呼ぶが、こんな軍事戦略を企画できる人々が中枢にいるのならば、世界は真の意味で「パクス」の恩恵を受けているといえる。ただ、賢帝の登場も安定もとても短いものであり、いまはコモドゥスの時期なのかもしれないが。

 国防とは何か。そんを実現するための方法はいろいろある。殺人しか考えていないと、軍を悪魔のようにいう人もいるが、その中枢に「平時の経済競争力」まで見据えて、失敗する可能性のコストを受け持つアメリカがあるのだとしたら、日本は到底かなわないだろう。日本など、長い歴史をもちならが、しょせん「ファミリーマター」の歴史しかないのだから。

 技術を獲得、維持するためには、独自技術開発をつづけなければならない。でなければ、何故スタンダードとなった技術がすぐれているのか、「真の意味でわからない」はず。私も、自分の手で行い、頭で理解する、というように「自分でやる」を基本していこうと再確認した。とてもよい本です。流石、坂村健。

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