神々の沈黙
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ジュリアン・ジェインズ 衝撃的なことを知った。なるほど、確かに古代世界の人は「意識」がなかったといえるのかもしれない。この本は、文字が発明される前、言葉が十分に発達し、使われるようになる前までは「意識」は人に存在しないかったという主張なのだ。そして、その主張はこの本を読むことで「なるほど」と言えるくらい「確からしい」ものに思えてくる。 無意識と意識とにそれぞれ人格があり、意識をもっているの文字通り「意識」をつかさどっていると言われるところであって、それは実は左脳と比較して「大きなことを」をしている部分ではないということ。言葉を理解する(入力)といわれている脳の部位にウェルニッケ野がある。これは左脳にある。では、脳は左右対称になっているため、ウェルニッケに該当する部分の右脳にあるところは何をやっているのだろうか。 そもそも、右脳と左脳をつなぐラインに疾患が生じると、別々の人格を持ってしまうという臨床例もある。たとえば、靴下を履こうとしている行為と脱がそうとしている行為が「同時」にあらわれてしまうような症状である。それは、右脳だけでも問題なく生きていけることを意味している(筋肉の動作といういみではなく、思考という意味である)。 もし、言葉がなければ、いわゆる「思考」と呼ばれていることはどこまで可能なのだろうか? ひょっとしたら、ことがない状態で考えていることを「無意識」と読んでいるのではないか? その場合、脳の左と右とは大きく機能分化はすすんでいなかったのではないか。それならば、何かをしようつするとき、「声」として右脳の意図が左脳に伝えられたとしてもなんら不思議はない。この声を「神」とよんだのだろう。 言葉・文字を獲得し、無意識から意識が生じ、「神」の声が聞こえなくなっていく過程が旧約聖書の成立なのだとする著者の発想は、実にうなづける。言葉を持たないから子供の頃には意識がなかったのかもしれない、などと想像してしまう。意識について考えるときに、一つの柱になる考え方を提示してくれる本である。 |