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古代文明と気候大変動

ブライアン・フェイガン
河出書房新社: 2400円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 気候が文明に影響をあたえる。それは、わかりきったことである。そんな番組も見た覚えがある。ただ、氷河時代の変遷と古代文明の時期、場所について調べ上げ、現在にもある気候変動(エルニーニョや季節風という用語でおなじみ)を関連付けて説明してある本なので、知識を概観するにはちょうどよい。もっとも、とても覚えていられる量ではないので、「確か、あの本のこの辺に記述があったはず」という利用がちょうどよいであろう。

 やませという言葉を知っているだろう。東北地方の夏に吹く北風。コメができなくなり、飢饉が起きる。宮沢賢治もこれに悩まされているのだから、古代文明どころか最近まで恐怖の兆候であった。寒いだけではなく、冬を越せない、明日のコメもないという状況になるのだから、当たり前である。

 では、いまなぜ私はそんなに恐怖を感じないのか。それは、「では、別のところから輸入すればいいではないか」と考えているから。大抵の人もそうだろう。だから、二酸化炭素による温室効果程度の用語と気候変動は同じカテゴリーにはいるのだ。でも、古代文明世界に「ロジスティクス」もなければ「情報ネットワーク」もない。そもそも、お金というルールもない。ならば、やませが吹けば「全滅」するか「戦争して隣の文明を滅ぼすか」しかない。それは、ある意味、現代でも同じなのだが。

 古代ローマも末期も気候変動が起きている。北から人がやってくる。ゲルマンはさらに北から追い出されているのだから、世界的に「不作だし、寒いし、はらが減った」のだ。異動して、相手を殲滅して自分が生き残ろう。そう考えるのは当たり前なのだ。なににもまして、これは今でも起きる。結局、リソースの奪いしか人が行動を変える理由はないからだ。

 地球温暖化などのはなしが「実にくだらない」ものに見えてくる。そもそも、人が太刀打ちできる離しではないのだ、気候変動などは。地球軌道の離心率や歳差運動について文句をいっても仕方がないのだ。

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