ウンコな議論
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ハリー・G・フランクファート 表紙からしてどうかなぁ。山形浩生でなかったら、かわなかったかもしれない。それぐらい、強いインパクトを与えたい意図があるのだと思うが、ちょっとやり過ぎな気がする。 状況と全く関係なく、発言内容も価値がない、くだらない議論を「ウンコ」な議論と呼ぶ。なんでかしらないが、そんな議論が世の中あふれている。一体、どうしたらよいのか? 著者はプリンストンの著名な教授である。このようなテーマを、しかも、相当刺激的なタイトルの本を出版すると、ある意味本にはマイナスなはず。しかも、この小論はずいぶんと昔にかいたものだそうである。それを、今だすのは、アメリカ社会にもこの手の議論があふれているからなのだろう。 それを翻訳して、本編と同じ分量の解説をつけている山形さんも、そうとう個人的に頭にきているのだろう。山形さんは道路公団民営化の委員に参加して、いろいろ取りまとめの文書(提言だの)を作成したらしい。その上での、いわゆる偉い人(政治家・役人)のウンコな議論に泣かされたそうである。自分が知らない、感心がないものについて高尚なことを言わなければならない立場にあるのには同情の余地があるが、その人の発言で社会がどれほど迷惑を被るのか全く理解していない偉い人に対する、あるいは、役所に対するばかばかしさを本の形で伝えたかったのだろう。もし、そうならば痛いほどよくわかる。 人の脳は同じ性能を持ちえない。結局、ある瞬間に素晴らしい人が構成した組織でも、時間と共に変容する。環境に適用するのだ。そして、頭の良さとは環境に適用する能力にも当てはめることができるだろう。だから、ウンコな議論をする人たちが多数を占めるのは、自然の成り行きなのだ。ただ、それは、自然な成り行きであってもウンコであることにはかわりはない。散歩道に犬のウンコがある。さて、どうしようかというのがその人の生き方に現われるはず。そう思って、世の中のウンコな議論への感度を上げて、ケースバイケースで処置をしていこう。そう、考えるようになった。 |