ミラノ 霧の風景
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須賀敦子 不思議な気分になった。私とは関係もなく、時代も違い、しかも職業も趣味も、性別まで違う人の生活の話しを聴いた気分なのだが、どうしたというのだろう。若いときの記憶ならば、良くても悪くても思い出すのは楽しさと哀しさがまざっているものなのだろうけど、ちょっと他人事のようには思えない気がするから不思議なのだ。なんとも、この本の中身については表現しようがないので、この本については別のことをメモしておく。 本の装幀が綺麗ですね。綺麗なままで取っておきたい気がします。ただ、これ古本でかったので、ちょっと古びているのだが。 今、須賀敦子の「ミラノ 霧の風景」という本を読んでる。美しい日本語とはこういうものだろう。文系でもない自分がそう思うほどに、しっとりとしたエッセイ。この本はブックオフで買ったのだが、ちょっと得した気分になる。新刊にはないものが、入っているから。 表紙の裏に新聞の切り抜きが入っていた。この本についての書評である。余枠なしで切り抜かれている。この本のタイトルにマーカーが魅かれている。前の所有者の性格を感じとることができる。そして、本の奥付の上にえんぴつで「91.10.6 秀太の運動会の日に」と書かれている。綺麗な自体。そんなときに、読んだんだ。と想像を働かせてしまう。ちょっと痩せ気味の美人の人だったりして。想像というより妄想か。 なぜ、この本をブックオフに出したのか? 今は2006年。となれば、15年たったことになる。運動会という響きは幼稚園から小学生までだろう。高学年というより低学年か。となると、5ー10歳の頃に読んだ本になる。ひょっとしたら、秀太くんは大学を卒業して就職したとか、あるいは、高校卒業後プロフェッショナルな職業に就き、結婚したとか。あるいは、子供が家を出ていき、夫も定年になり、前所有者が住み慣れた家を引っ越しすることになったとか。 本の中の世界と本の外の世界。丁寧に読まれた本ならば、二つの世界を同時に受け取ることができる。そのよさは、新刊にはない。 |