茂木健一郎
徳間書店: 1800円
お勧め指数: ■■■■□ (4)
茂木さんは小説も書くのか! とびっくりして買って読んでみた。びっくりするほど面白い。小説を書いているけど、このほうが茂木さんが思っていることを大胆に発言しやすいし、同時にいろいろな「見方」を人を変えて説明することができて便利なのだろう。結局、クオリアや意識についての本を「小説」という方法を使って記述してみた。そんな、発想の本であろう。
意識についてのメモをかくとネタバレの危険があるので、別に思ったことを書いてみる。この本でこんな一節を目にした。一種の親睦会のようなパーティー中での人々(大学生)の行動を眺め、それぞれの人の性格を遠回しに推定させる部分。
”「ヌーメアのビーチにある、『ラ・ドルチェ・ヴィータ』というイタリアン・レストランに2日連続で行って、同じテーブルに座ったよ。ちょっとコテージ風の店で、夜になると松明が並んでいてね。いい店だった。すっかり馴染みになって、3日目には、もじゃもじゃ頭の伊達男のウェイターが・・・」
自分の個人的体験が、そのまま普遍的な意味を持つと思うところが、隣の男の欠点だ。
だが、女子学生を口説こうとする素振りをあからさまに見せないところは、好感がもてる。
軍司はテーブルをたった。”
話し相手がもっとも情熱的に話すことは、話し相手が「良かった、面白かった」という体験ではないのか? だからこそ、話しの細部を細かくも粗くもできるし、考えたり想像したりする必要がないので、淀みなく言葉がながれてくるし。確かに、「よかった、よかった」では「どうよかったのか」は伝わらないから、工夫が必要だけど、話題の選択としては自然ではないか。もちろん、初対面の人には、良かったと感想を述べる人の好みや美意識が全くわからないのだから感じが伝わりようがないから、話題としては不適切であるのだが。
翻って考える。初対面の人には普遍性のある情報を伝えるように勤めるべきなのかもしれない。つまり、良かった、悪かったという「感覚」を基準とする評価を扱った話題をさけるほうがよい。そういうことだ。
では、普遍的な話題とは一体何か。ただのニュースなのか。ニュースの「裏話」であれば、ニュースであることから共通の土壌を確認する必要はなく、裏話という追加情報を提供できるので興味を持ってもらえるだろう。本から引っ張ってくるのも、同じ方法。その他にはないのか。
人と話すのも大変だなぁと思う。