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さよならダーウィニズム

池田清彦
講談社選書メチエ: 1600円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 自然淘汰という考え方はそんなにおかしなことではない。キリスト教原理主義者でもない私には、ダーウィニズムは「そうかもしれない」という程度のレベルで受け入れらる。また、DNAと突然変異を考慮したネオ・ダーウィニズムも科学的な帰結だといわれれば、そうなんだろう。そう思っていた。ただし、「性能がまわりよりも良いものが、結果的に生き残る」という考え方では説明できない事実も人の臓器や昆虫の不思議のような読み物で知ったことはたしかで、これまで引っかかっていたのだ。それが、この本を読んで、「ダーウィニズムは根本的におかしいのだ」ということを知った。これは、久々に衝撃的な科学的知識である。


 ”考えてみると、ブルアントの巣のなかに入るには、ブルアントそっくりな科学的な物質を擬態しなければならない。これは徐々に擬態していくわけにはいかない。徐々にやっていたのでは、その間に殺されてしまう。”

 ”自然淘汰では、普通の擬態の説明はうまくいくが、そうではない化学擬態や免疫擬態が説明できないのだ。ということは、もしかすると普通の擬態も一気に擬態している可能性もないわけではない。”

 ”DNAそのものの変異はランダムだとしても、システムに許された変異しか選ばれないのだから、生き延びて自然淘汰(外部選択)がかかるDNAの変異はランダムではないのである。”

 ”魚類という、脊椎動物のなかではプリミティブなシステムの上に、新しいシステムを開発したのが両生類で、両生類は、魚類のシステムを全部持っている上に、さらに何らかのシステムを付加したものだ。sらにその上に新しいシステムを付加したのが爬虫類になる。”


 環境に適応したものが、徐々に生き延びていき、その数を変えていく。それが進化につながる。しかし、実際には「それでは間に合わない。ありえない」ことが多いのだ。一気に擬態しなければ、生き残れない生命の擬態をネオ・ダーウィニズムでは説明できない。ならば、この節は間違っているとしかいいようがないではないか。

 構造主義などをもうすこし勉強してみよう。

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