明治大正翻訳ワンダーランド
|
鴻巣友季子 明治大正の時期、どんな翻訳書がうれていたのだろうか、また、訳文の質はどの程度なのか。大森望さんの本にこの本が紹介されていたので早速購入したのですが・・・。 日本は漢文をずっと読んでいたのだから外国語からの翻訳というものがあったんじゃないかな。その考えは間違いですね。翻訳しないで「レ点」で読んでしまっていたので。翻訳しょうという発想すらなかったんじゃないか。そもそも、文章が娯楽になっていないのだから楽しく読むなって発想は明治までなったのでしょう。とすると、明治になって初めて遭遇した翻訳、人によっていろいろ態度がとられたのでしょう。そのあたりの苦闘の一端をこの本は紹介してくれています。 翻訳者にもいろいろいたようで、感動したのは「一回全部よんで、心に残ったことをベースにかいてみました」というような、それ翻訳?、というものもあったようです。本人も「翻訳だとは思っていないが、創作というわけでもない」というスタンスを表明しています。あるいは、外人の名前は覚え難いうということから、全部日本人名に変更してしまうという方法もあったようです。フランダースの犬の主人公は清、犬はブチであったというのは最初の翻訳書ですが、これは「トリビアの泉」で放送されていました。 他の国ではどうだったんですかね。例えば、アラビア語からラテン語への翻訳なんかでは問題にならなかったのか。中世で学問的なものはヨーロッパから消えてしまって、アラビア語として残っていたものを再度ラテン語、ギリシャ語に翻訳しなおしたものが現在の学問の基礎にあるはずです。まぁ、数学関係は対して問題ないとしても、『アラビアン・ナイト』なんて、問題ないのか。日本語への翻訳のときだけに、おかしなことが起きているわけでもないだろうに。 |