小説を読みながら考えた
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養老孟司 本の紹介エッセイである。まだ小説推理に連載されている。養老孟司の著作を読んでいると昆虫取りとミステリーの話がつづくことがある。どんな雑誌に書こうとも、書く内容は一定の幅に収まっており、それもまた面白いので編集再度も許してくれるのであろう。当然、この本でもそうである。 たしかにミステリー紹介の話が多いのだが、そのときそのときの評論も結構捨てがたい。科学とは何か、自然とは何かについて時折ずっしりとくる。 銅鉄主義という古い表現があった。外国の研究者が鉄で調べたことを、日本の研究者が銅で調べる。どこが新しいかと訊かれたら、まだだれも銅では調べていませんと答えればいい。いって悪いが、たいていの論文はそれだという気がする。 はいそうです。論文のようなものを書かないと学生は卒業できないし、職員は評価がさがり首になることがあるからです。背に腹は代えられぬ。そういうことです。ただし、これが蔓延して、研究するとはそういうことだ、と疑っていない人もでてきたりして、せっかくの人生を棒にふる人も多い。 今回、はっとしたのは佐藤優の『国家の罠』の紹介である。本当にそうだ、とか、外務省はしょうがない、とか、政治は汚い。なんとなくそんな見方しかできなかったのだが、養老孟司は「あれは著者のロマン主義が面白いのだ」という。そんな見方、考えたこともなかった。ドキュメントである以上、その話は本当かどうか、その中での行動は正しいか間違っているかどうか。それを考えることが読者のやるべきことではなく、小説のように「ロマンだなぁ」と思えば良い。 書かれたことが「真実」であるかどうか、それは本の面白さと関係がない。ウソはウソなりに面白いのである。 真実は追究するものだとうことは、あまりのも当然である。しかしそう表現したとたんに、「追求すれば、手に入る」という錯覚に陥る人が出る。なぜなら人にはけちな性質があって、手に入らないものを追求するのはムダだと思うからである。しかし人生には、手に入ろうが入るまいが、ついきゅうするものがある。それを追うことを、私は右にロマン主義と呼んだのである。 佐藤氏の主題は政治と外交である。そうした分野に事実なんぞというものはない。あったとしても、それを人は限られた人生のあいだで、完全に知ることはできない。 この本はミステリー紹介である。しかし、ミステリーだけでなく、ある種のホントの付き合いかたまで教えてくれる。だから私は養老孟司の本は店頭で見かけたら即買するのである。 |