佐藤優
新潮社 1600円
お勧め指数 □□□□□ (5)
役所で一番大切なのは物語である。良い物語にはおカネがつき、つまらないものは消される。それはいかなるレベルであっても、いかなる種類の役所であっても同じ。これがこの本を読んだ感想である。
普通の人は鈴木宗男や佐藤優という名前を聞くと、あっ、ムネオハウスの人ね。あるいは、あの大悪党ども。そういう認識であろう。政治問題に別段強い興味を持っていない人ならばそれですむ。悪いやつらが警察につかまった。そういう単純な理解である。このような犯罪についての真実を個人では知り得ないし、知ったところでどうしようもない。だから、マスコミ報道を疑うことはない。ハリウッド的な結末を物語を耳にして安心するというのが一般的な終わり方であろう。
この本はその事件の犯人の一人とされた佐藤優自身が事件の経緯を綴ったものである。もちろん、その内容が全部事実だとは思えないし、そう期待しないほうがよい。記憶とは自分にとって分かりやすいように、都合が良いように整理される。また、受け入れたくない体験はどんなに正直な人であっても無意識によって封印される。だから、事実は人によって異なることになる。これが芥川龍之介の『薮の中』である。この本は佐藤優にとっての「事実」であるが、それが他の人にとっての「事実」かどうかは薮の中になる。ならば多数決原理はどうか。関係者の証言の多数決原理は本質的に意味がないようだ。自供をが一致する意味について、この本のなかでの検察側のテクニックとして紹介されいている。
単なる自己弁護ならば、この本の内容ほどに興味深いものに成りえないと思う。この本は発売2年で23刷なのだから、関係者以外の普通の人にとっても面白いし勉強になると思われたようだ。もちろん、政治とはあまり関係がない私も興味深く読めた。読んでいると、「この部分は本当だがこの部分は丸めたな」という感じがするところがいくつもある。もちろん、それは私の想像でしかないのだけど。
著者は「国家の罠にかかって逮捕された」のだと主張している。書名からそう判断できる。犯罪行為はしていない。私はやっていない。そうとも言っている。ではなぜ、この人の弁明が面白いのか。その理由は、具体的事例の説明に納得する事が多いからだ。例えば、なぜムネオハウスはあんなにしょぼいのかという疑問にきちんと回答している。著者は、「金が欲しかった」「権力が欲しかった」という動機を強くもっていないであろうことは、この本を読むとわかる。著者は東大エリートのような玉ではない。結局「おれが偉いのだ」に落ち着くタイプの人ではないようだ。面白い小説は例外なくキャラが立っている。そして、この話でも登場人物のキャラがたっている。だから、そもそもこの本は面白い。それだけで読む価値がある。
養老孟司がある本のなかで「著者はロマンティストである」と言っている。読んでみて同意した。この本で説明された経緯が事実なのかどうかは知りようがない。それを議論しても仕方ない。それより、この人は何を主張したかったのだろうか。神学を専攻した経歴からわかるとおり、普通の人とは違う問題意識、違う価値観を持っている。その人が「常に国益を優先して行動した」といった場合の「国益」とは何をしているのか。よく分からない。一般人と佐藤優との間に勘違いがうまれるとしたら国益という単語の意味するところだろう。国民の圧倒的大多数は私も含め「熊さん、八さん」なのである。そういう人たちの利益を指しているのかどうか。
この本で一つはっきりしたことは「国策捜査」というものがあることだ。要するに、政治的な理由により特定の人を逮捕することが目的で国が動くことがある。「事件があったので逮捕される」のではなく、「逮捕するために事件を探す」のである。罪をでっち上げるのではなく、逮捕の基準値を下げて微罪で逮捕するということだ。ならば、この手の事件において、マスコミの話を鵜呑みにするほどばからしい事はない。逮捕される理由は、実はどうでもいいことだから。著者が獄中から弁護士に送った手紙からの引用してみる。
・・・今回は、国策捜査の手法について、私なりの見解を記します。国策捜査の場合、『初めに事件ありき』ではなく、まず役者を決め、それからストーリーを作り、そこに個々の役者を押し込んでいきます。その場合、配役は周囲から固め、最後のカケラを『まっ黒い穴』にはめこむという図式です。役者になっていると思われるにもかかわらず、東京地検特捜部から任意の事情聴取がなかなか来ない場合は要注意です。主役か準主役になっている可能性があります。ストーリー作りの観点から物証よりも自供が重要になります。ストーリーにあわせて物証をはめ込んでいくという手法がとられます。私がかつて行っていた仕事の経験からすると、情報収集・分析よりも情報操作(ディスインフォメーション)工作に似ています。国家権力をもってすれば、大抵の場合、自供をひき出す事に成功します。特に官僚や商社マンなどは子供の頃からほめられるのに慣れ、怒鳴られるのに弱いので、ストリー作りのための格好のターゲットになります。情報操作工作の場合、外形的事実に少し嘘を混ぜ、工作用ストーリーを作り上げて行きます。ストーリーが実体からそれ程かけはなれていない場合、工作は成功します。国策捜査の場合、どの様なストーリーが形成されるかについて、私は注意深く観察しています。
もし、真実はそもそも人によって違う「薮の中」ならば、捜査による事実解明は本質的に不可能になる。部外者が一番理解しやすい「物語」は何か。それが捜査のやること。この発想は、ホームズやポアロなどヨーロッパ世界が信じている「真実は一つ」という考えと矛盾する。日本人は、無意識のうちに「薮の中」を持っていて、真実は一つなどとは思っていないのかもしれない。だからこそ、「適当なストーリーをつくり人を逮捕するという仕事」に需要があり、それが正しい仕事とされている社会を作っているのかもしれない。
こう考えると、国の活動のうち何パーセントくらいがこういう「物語作り」に費やされているのか気になる。ゴミ、医療、経済などいくら「物語」を作っても解決しない仕事は政治・官僚にもたくさんあるとは思うが、しかしほとんどの役人のほとんどの時間は、「物語」作りに費やされている。ならば作家にやってもらったほうがよい。少なくとも面白い話のほうがいいような気がする。