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スーパーコンピューターを20万円で創る


伊藤智義
集英社新書 714円

なんだか悲しい気分になってしまうのは、著者の心情を察しているからか。
お勧め指数 □□□■■ (3)

 GRAPEの本が新刊で出ていた。「えっ、なんで? 今になって?」と驚く。重力の部分の計算だけを専用ボードで計算させるというGRAPEというアイディアには当時感心した。そういうアイディアを考えつき、しかも実行してしまうのはスゴイ。自分で作るから必然的に安いコストだし、回路も見通しがきくものになる。この問題に感心がある世界中の人がそう思ったはずである。やられたと。

 丁寧に書かれた新書なので一気読みができた。Project-X的な過剰な演出もない。渦中にいた人の目でみたGRAPEにまつわる人と事の流れが読み取れる。ただし、この本にはGRAPEの誇りを解説しているというより、ベースラインとしての悔しさのようなものが感じられる。著者が学生時代に原作を書いていた有名な漫画『栄光亡き天才たち』のような印象をうける。おそらくだが、著者は悔しいのだろう。もちろん、これはone-sideの見方であって、実際そうだったのはわからない。雰囲気は語る人の体調によっても違ってくるのだから。

 本文中に、最初に創った人よりも2番目の人の方が結果的に注目される、とある。これは発明、発見の2番目という意味ではなく、「性能がでない、見栄えしない」初号機よりもそれを改良・発展させた2号機くらいが一般の注目を浴びると言いたいようである。著者はGRAPEの初号機を作った。そして、それができたときに「とっても、簡単でした」を連発してしまった。その言葉を真に受けた人は、「なんだ、そうなんだ。では、この功績はアイディアを出した人と、実用的なものへと発展させた人にあるな。」と受け取られたのではないかと後悔しているようである。まるで、自分自身で書いた原作のような「栄光なき天才たち」の一人のように。これだけ成功していても、何か満たされないものがある。人間、面倒くさいものだ。

 それに関係してか、チームの意味について、一風変わった理解を述べている。チーム活動はオーケストラ(弦だけとか管だけとかも含むが)の演奏のようなものだといっている。個性をぶつけ合っても全体としては調和しているものがよいと。しかし、この理解は主張しないと周りに飲まれると言っているようにも受け取れる。つまり、GRAPEを設計するのは簡単だといったことへの後悔を語っているのだ。

伊藤の「GRAPE-1を作るのは簡単だった」という言葉は、GRAPEプロジェクトの内部の人たちにさえ文字通りに受け取れてしまう。 「GRAPE-1は簡単だから」「ズブの素人の学生にも」「作ることができた」その言葉は果たしてそうだったのか? あのときの登場人物が自分でなくても同じ結果になったのだろうか? いや、そうではないはずだ。

 そもそも、自分で簡単なものが他人には実はできないんじゃないか。自分のすごさを周りは理解してくれないんじゃないかと感じてもいる。

例えば、『栄光なき天才たち』が軌道に乗った頃、興味を持った大学の若手研究者からきかれたことがあった。 「原作の仕事って何をするの?」 「台本のようなものですね。セリフとト書きを書いて・・・」 「なんだ、絵は描いていないのか。それならオレにだってできるじゃないか」 伊藤は内心、「だったら、やってみればよかったじゃないですか」と思ったが、口にはできずに、「そうかもしれませんね」と答えた。

 この時期にGRAPEの話を出してきたのは、そういう疑心暗鬼に対する対策のように感じる。

 人は物語を求めてる。事実ではない。物語も「面白いもの」を求めてる。「英雄」の武勇伝ならば絶対に憶えてもらえる。そして、事実は忘れられる。この本の評価が3なのは、物語として弱いからだ。これは新書という性格上仕方がないが、キャラを実際以上に「たてて」しまえば、この本の話がメインストーリーになって語り継がれていくことになったはずである。どうなるかは、この本の売れ方とGRAPEの今後の活躍次第ではある。

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