逆立ち日本論
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養老孟司 内田樹 内田という人については全く知らなかった。ユダヤ人についていろいろ考察されている人ということで、対談の半分くらいは「ユダヤ人とは」になっている。「ユダヤ人とは、〜である」という定義ができないそうで、必然的に「ユダヤ人とは〜ではない」ということでしか規定できないとか。これについては両者の意見が一致している。なので、おそらくそうなのであろう。古代オリエントからローマ史に登場してくるユダヤ人については幾らか読んだ事がある。ユダヤ人は現代社会においても一層重要なプレーヤーであることは了承しているが、身近な話しではない。そもそも「〜人」でとらえる人ならば関係がない。だから、この本での「〜ではない」という定義が正解だろうとなかろうと実生活には関係がない。しかし、歴史や社会について今後勉強するとき、「ユダヤ教徒、一神教の人」などという幼稚な理解よりましであろう。ちょっと良いことを知ったと感じている。 それ以外。日本人論があった。ただし、日本人とユダヤ人 ・・・どう考えても、そんなに追い詰められるより前に、「それは筋が通りませんよ、やめてください」と言って相手を制しておけば済んだ話なんです。でも、主人公はありとあらゆる理不尽に耐えてしまうんですね。ほとんど自分の方から理不尽で屈辱的な状況を進んで選択しているようにさえ見える。そして、最後に「もう我慢できねぇ」といって金子信雄をブスリとさして・・・。このソリューションを日本人は大好きなんですよ。『忠臣蔵』しかり。 戦争中威張っていたやつが、まったく同じでした。あそこまで状況が変になると、ほとんど精神に異常を来しているんじゃないかというヤツの声がいちばん大きくなる。だいたいが、声を大にして言うことは極端なことに決まっているのですよ。 これらの言葉も文脈から切り離されると少し強調されるすぎるか、勘違いされるかもしれない。しかし、普段の生活でちょっと似たようなことを感じており、それが他人の口からでてくると「それだ!」とうれしくなってしまう。勘違いであったとしても興味を持ったならば一読するとよい。
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