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2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?

ひろゆき(西村博之)
扶桑社新書 740円
この人と話すと自分がアホであることを痛感させられそうだ。
お勧め指数 □□□□□ (5)

 養老孟司と同じように「語りによる」新書である。大丈夫かなと不安になったが、数ページ読んでみればこの人のスマートさに気付き、話に引き込まれる。2chってのはこういう人が立ち上げたのか。ひろゆきさんと話をすると自分がバカにみえてくるから嫌になると言われているそうだが、おそらくホントだろう。読んでいるだけなのに自分がバカに思えてくる。このあたりは、対談者二人のうちの一人目の方を読むとあからさまにわかる。一般の人(非プログラマー)の人にもついていける話だけに、対談者は損をしている。かわいそうなくらいだ。
 Web2.0ってなんですか? オライリーの有名な論文をよんでもピンと来ない。明確な定義があるようでない。時流と関係のない人が純粋な論理として読んでみれば「Web2.0って、わけわからない」ということになるはずである。ところが、多くの人が、それもコンピュータを得意に思っている人たちが、さらにはマスコミが、本屋さんのコンピュータコーナーに並んでいる本のタイトルが「Web 2.0ってすごい」を連呼している。だから、本当にそんなものがあると信じてしまう。本書ではWeb2.0を「裸の大様」扱いをしている。ひろゆきは、そんなものはない、気分の問題なんじゃないかと表明している。そして、その理由を話してくれている。読むと確かにWeb2.0って「doesn't make sense」であろうと納得する。すくなくとも定義がない、あるいは人によって違いすぎていることを知る。
 雰囲気に流されるのは「知ったかぶり」の行動である。それは「自分が知らないことがバレる、自分がアホだと思われる」に対する恐怖への防御行為である。しかし、ひろゆきは執拗に疑問を口にする。このような態度を取れる理由は「冷静に考えればそれはない」と判断する自分に信頼を置いているからである。大抵の人がそういうそうゆうたぐいの表明をしても、大抵「反証」が提示されてしまう。自分が真実であると論理的に判断したものが誤りであることがバレてしまう。そんな経験が積み重なるにつれ自分が信用できなくなる。P109ページのひろゆきの目をみてみるとよい。対談相手にこんな目をされたら、大抵びびるだろう。この人は失敗した事がないような気がする。

 個人的に一番好きなやり取りはこれである。


ウェブ進化論』の梅田さんに対して、カリスマプログラマーである小飼弾さんが、ブログ上で、「それで、梅田さんは、『はてな』でどんなコードを書いたの?」という反論をしていました。僕もそれだと思うのです。
 技術者でない人間が技術を評価するというのは、医者でない人間が下した「この医者の技術はすごい」という評価があまり納得できないのに似ています。医者同士で、その技術について語り合ったら、いったいどうなの? ということと同じです。本当に技術を理解して褒めているのであれば、それがどこなのかを教えて欲しい。もし、理解もしていないのに褒めているのであれば、それは手品師を見てすごいと言っているのと、あまり変わらない。

 長い間表現したかった言葉を見つけた。それだ。評価できるのは自分の理解できる範囲である。また、そのスコープが必要なのだ。もし、はてなのサービスあるいはそれを受ける人の印象にについて「すばらしい」という話ならばよい。しかし、そのサービスを支える技術については理解していないからわからないか、あるいは触れる必要がない。レイヤーを切ってしまえばいい。
 自分の良く知っている仕事場で受ける違和感の原因はこれなのだ。サービスの話か、技術の話か。サービスを褒めるならば問題ない。が、技術について評論するな。こう言い換えてもいいだろう。理解していない技術を評価するな。それは「ミスター・マリックの浮遊や壁抜けは一流の工学的な技術であり、素晴らしいものだ」と工学関係の学会で表明するのようなものだ。手品エンターテイメントとしては素晴らしいし、それは人を幸せにしていることには異論ないが、それを支えているものに対する評価はトリックを理解していないのだからするな。今度からそういう態度を取ろう(全く個人的な話だが)。
 しかし、一歩間違うとネガティブな領域に入ってしまう。お前は技術者じゃないのだから黙っていろ。薬害エイズでの悪党「阿部」という医者が徹底的にこれだった。新聞記者に向かって「お前は医者か? 違うなら黙っていろ」という態度をとって巨悪になった。結局は、監査できるかどうかによる。監査ができないなら市場原理にさらせばいい。プログラマーの人たちが「技術者以外はだまっている」といえる根拠は、最終製品が使えないなら別のものを選べる、という状況が保証されているからだ。あるいは、その状況が保証されていないなら「技術者以外が口をだすな」と言ってはいけない(対偶)。

 なにはともあれ、この本は読んで損はない。できれば梅田×ひろうきという対談本を読んでみたいものだ。

 どうでもいいけど、この本のタイトルは「さおだけ屋は〜」来ているんだろうなぁ。




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