店頭に並んでいれば悩まず買って読む。歴史についての本ということなら、この人の本は買って損なしだから。この本も即買いした。
扱っている時期は奈良から平安京までの時代で、例によって宗教(言霊)の影響をベースに日本史年表にある事件や文学作品の成立理由や彼らにおけるその意味について井沢さんの考えるところを説明してくれている。
当然、目からうろこに違いもので、こんな授業ならば日本史に支払った時間もお金もムダではなかったのにと自分の過去を残念に思う。もっとも、これは井沢さんの本を読んだあといつもそう思うのだが。
言霊の影響を補助線にすると、日本史における事件のそもそもの理由を思い描くのがずいぶんと自然なものに感じることができる。あまりにそう感じるので、いわゆる教科書なぞ、犬にでも食わせておけ、といいたくなる。教科書問題なんて、どうせ誰も読んでない教科書だからどうでもいいんじゃないか、とすら思うようになる。
ただし、言霊を宗教として扱うのには少し異論がある。これは、「現実の問題をどうにかしようにも、どうしたらいいかわからない」という状況での人の自然な選択だと思うからだ。どうしたらいいのか分からないのだから、祈るしかないだろう。なぜなら、祈れば「少しは気分もおさまろう」から。
権力を持っていた人の気分が静まれば、あとはどうだっていい時代だったはずだ。だらが、唄さえよんでいればよかったし、それ以外「やりようがない」ではないか。なぜならば、日本人は古代ローマ人とは比べようもないほどサルだったのだから、しかたない。
それにしても、日本史はくだらない。もっといえば、どうでもいい。日本人って、サルだったんだなぁと思い知るために勉強するにはよいが、そもそもそれって意味があるのだろうかと思う。
織田信長と幕末から明治にかけて。この時代は「現実」と接点をとる必要があった。だから歴史的に「意味がある」事象に満ちているし、その時代の人の「工夫」に感心することが多い。それ以外はゴミだ。すくなくとも、駄作を読んで過ごすには人生は短かすぎる。だから、日本史はどうでもいいだろう。井沢さんの本を読めるならば、他の学校で行われる授業は必要ないだろう。