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寝ながら学べる構造主義

内田樹
文春新書 690円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 なるほど、構造主義とはそういものだったのか。大学生のときは現代思想なるものに少しは興味をもち、本など読んで見たのだが「さっぱり」わからんかった。私は理科系だから、文系の人のように考えることができないからなんだろうなと割り切っていた。頭が悪いと言われるのがしゃくだったから。

 でも、この本を読んでなるほどなと。オレにも分かるじゃないか。

 世界の見え方は、視点が違えば違う。だから、ある視点にとどまったままで「私には、他の人よりも正しく世界が見えている」と主張することは論理的には基礎づけられない。私たちはいまではそう考えるようになっています。このような考え方の批評的な有効性を私たちに教えてくれたのは構造主義であり、それが「常識」に登録されたは四十年ほど前、一九六〇年代のことです。

 これ、ひょっとしたら「わかるかも」と思わせてくれます。構造主義は、マルクス、フロイト、ニーチェ、それから、ソシュール、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンと続いていきます。聞いたことある名前が多い。高校、大学で読んで見たがさっぱりという人の名前が躍っています。

 構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。

 私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけでない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け入れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。

 あー、わかった。なんだ、構造というのは私の思考の舞台を取り巻く「構造」だったんですね。すでに構造があって、そのなかで考えている。だから、そこでの考えは、その構造のなかで「ありえる」考え方でしかないわけだ。なんだか、宇宙論のような考え方です。

 この考えは、人が「考える」場面の至るところで顔をだすはずで、すでに部分的に気がついた人もたくさんいるのでしょう。別の名前がついているかもしれない。なるほど、構造主義というのは一時代を形成したわけで、今は「それ以後」という意味になっている。理解できました。

 内田さんの本を読めば、もっといろいろ分かるかもしれない。

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