討論1 古代史への挑戦
古代日本人、日本人の起源についてを種に二人が議論している。重厚な感じを受ける。二人に権威を感じるのはなく、専門家の圧倒的な知識に驚くのでもない。研究するという態度に感心してしまうのだ。梅原猛の発言から研究とう態度を思い知る。研究所に勤めている私だが、こういう重厚な人にあったことがない。なんとも、お粗末な自分に恥じ入ってしまう。本はいい。時間と場所を越えた人たちのやり取りから学ぶことができるから。本の偉大な機能の恩恵を体感した。 学問の楽しさは仮説提案とその検証過程、そこでの意外性の発見にあるということだ。Do More Betterという行為しか「知らない」人には想像もできないかもしれない。なんでもいいから業績を出して、それで生きる糧あるいは出世の種、権威の購入資金にする。しかたないではないか、という人は結構いそうな気がする。ローンを組んだ研究者の研究は、おそらく信用するに値しないのではないか。そんなことを考えたりする。 竹内均はべっ甲のメガネの先生で、なにか奇妙な感じがするほど丁寧な言葉をつかっての地質の説明をテレビで見たことがある。科学者として梅原猛に話を向けて自説を梅原の節に挟もうとしているが、全く受け入れられない。物理系の科学者の「幼稚さ」というか「ロマンティスト」なところが、モロに見えてしまい情けない気がする。同時に、自分で「考えている」人の強さが感じ取れる。物理という客観におぼれると、くだらないことに固執してしまい、つまんない結果しか導けないということを反面教師として知ることが出来る。 内田樹の本もそろそろそこをついてきたので、次は梅原猛にしようかと思っている。 |