オレ様化する子どもたち
オレ様化した子どもとはどういうものか。単に生意気というものではない。 「自分がこう思うこと」が当然「まわり」のみんなにも受け入れられるべきことだと確信するから主張している。 というひとのこと。しかも、 今や「客観的」と「主観的」の境界はなくなった。主観と客観の近代の二分法はもやは成立しない。 ということだ。なぜ、こうなったのか。それは消費経済を目指した市民社会ならではの特徴なのだ。つまり、 市民社会では人と人は対等である。 が基本にあり、あらゆる行為は「対等に置かれた主体通しが等価交換を行う」と考えられているからである。子供だろうとなんだうと主体であり、お金によって何かを交換することが生きることであり、交換するもの同士の価値は等価であることが正義である必要があるのだ。つまり、子供は成長する存在ではなく、賢く交換する主体になっていると子供自身が当たり前のようになったのだ。 自分の年代を考えると、著者が指摘する「最初期」のオレ様の子供のようだ。現在の自分の振り返ってみると、「等価交換」の発想は社会のベースにあるものだと信じている自分に気付く。何かをするから、何かをしてもらう。仕事や人との関係も全てそうあることが普通だと思っている。一方的な「贈与」というものを、大様と奴隷の関係や詐欺師のようなものが関係する負のイメージを持っているし、親と子の関係についても、学校の費用を出してもらったから親の面倒もみないといけないという「等価交換」の発想を持っている。それを自然だと思っている。 つまりは、自分も「オレ様」なのだ。現在の子供のような重症な状態でもなし、モンスター・ペアレンツのようなものでもないが、ちょと気を許すと単なる「オレ様」になってしまうだろう。そういう意味で、自分の状態をはっきり認識させてくれたこの本にはとても感謝している。 その他にも、意識と無意識の存在を踏まえての教育だとか、幼時の全能性が根拠のない自信を支え自己を絶対化してくれが、一方で傷つきやすく人との比較には非常に脆いという点などが子供だけではなく、人というものを対象として語られている。実に実に内容が厚い本で、これが新書では「もったいない」と思えてくる。新書でもここまでの内容がある読みごたえがある本が出せる。それを示してくれる一冊だった。 |
