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私の身体は頭がいい

内田樹
文春文庫 571円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 内田樹は武道家だそうである。自身が武道家ならば、身体について考えることが普通の人よりもあるだろう。体調がよい悪いや体に良い、という軸以外にいろいろな味方をもっているはずである。

 武道の経験はない。だから、体の動きに関しての記述に同感することがなかなかできない。やっぱりこの本はぼくには向かないのかなと思っていたら、次のような記述にであった。

 私はその後もいくつかの武道を経験したが、稽古している現時的な技術上の課題の「意味」と、修業の究極の「目的」とを統一的な枠組みのうちで語ってくれる指導者に出会うことはできなかった。ときには「不動心」とか「心技体の一致」とか「剣禅一如」とかいう言葉で包括的な解答を試みようとする人もいたけれど、その言葉が技術的に何を意味するのか、人間としての生き方にどうかかわるのかについては私ははっきりしたことはわからなかった。
 ここに欠けていたのは、私たちが「私は今修業上のどの段階にいて、どこへむかっているのか」を理解させてくれる「マッピング」の言語である。

 教育法の一つとしてだろうけど、「いいから黙ってやれ」という指導者がいる。どうせ、説明しても生徒に理解できるはずもない。理解できないのだから、指導していることに意味をいちいち納得させるひつようがないからだ。だまって師匠に従えばいい。『先生はえらい』で内田樹が主張していることだ。何処へ向かっているのかについて師匠が語る必要はない。生徒はいろいろ修業をこなすうちに「気付く」はずである。そういう主張だったのだ。なにか、ぼくが勘違いをしているのだろうか。

 そう思ってい読んでいくと、どうやら「マッピング」で意味するところは、技術などといった局所的なことではなく、ほぼ人生論のようなもののようだ。「武道について」を語ってくれ。そういうことのようだ。人生として関わる人探しには、「オレはいま何処にいて、何処へ目指そうとしている」ということを語ってくれる人がいい。そういう結論のようだが、私の読みか違いかもしれない。


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