ハートで感じる英語塾
再び目からうろこの本だった。参った。この本のおかげで英語への理解が深まった。当時に、なんだかヒヤリングが楽になってきた気がする。これは気のせいではない。ヒアリングが楽になると、英語の読書も気が楽になった。ヒアリングとリーディングはつよく関係していると思う。おそらく、リーディングは黙読であってもぼくは頭の中で音に変換しているので、結局のところヒアリング能力が重要なんだろうと思う。 この本はアメリカで読んだ。夜寝れないので、深夜から明け方にかけて読んでいた。まったく、と思うけど、それでも「なんでこういう風に学校で教えてくれなかったのだろうか」と恨みを感じながら、また、この歳であっても読めて良かったなとも感謝しながら読んでいた。私の真の意味での英語の先生はこの二人であると思う。一連の本との出会いは幸せなことだったと思う。 何に感動したのか。それは実は単純なことだ。英語は単語を配置する言語である。ただ、それだけ。前から限定し、後ろから追加説明する。配置によって意味が生成される。これが、てにをはによって単語をくっつける言語との本質的な違いである。そんなこと、知っている。そう言われる人も多いだろう。でも、本当にしっているの? ぼくは知っていると思っていたが、この本を読んで「あ、わかった」と思った。だから、そういう人も結構いるのではないかと思う。英語は単語を置くだけで意味が生成される。TOとかATとINとか、そいうものがなくてもいいのだ。 気付きは大切である。英語は左から順番に意味が確定していく。だから、左から順番に理解していくことができる。だから、全部を記憶して、遡って理解する必要はない。だけど、英文和訳って、大抵全部よんだあと順番をかえて自然な日本語に訳させるが、あれがヒアリングの能力を妨げているなぁと思う。ヒアリング時に翻訳をしようとすると、いったん全部憶えておかなければならない。そして、一文が終了したあとに一気に翻訳し、次の文章をまた記憶していく必要がある。そんなこと、できわるわけない。あの和文英訳のクセがぼくの英語力を羽交い締めにしていたのだ。それに気付いた。左から順番に理解することができれば、憶える必要はない。左から限定、右は説明。その繰り返しで英語を日本語を経由せずして理解できるのだ。大発見だ。 なるほど。ぼくが英語を教える立場になることはない。とすれば、世の中の英語の先生、どうかこういう教え方を子供にしてくださいな。本当に、お願いしたい。でも、無理なんだろうな。 |










