ゆたかさへの旅
神保町の古本ガレージセールで見つけた。森本哲郎の本を読むと、これが哲学なんだなと感じることができ、勉強になる。本当に勉強になったのかどうかは計測できないけれと、モノを考える大人とはこういう人をいうのだろうと思うのだ。ぼくが本を読むようになった頃(といっても、高校卒業後だが)、地元の古本屋で森本哲郎の文庫本を買って、面白くて読みふけった思い出がある。言葉への旅というシリーズだった。その頃は、自分で物を考えるという習慣がなかったし、用事もなくたびに出かけるなどという発想そのものがなかったので、いろんなことを学んでしまったと思ったものである。20年たった今でも、あの頃と余り変わっていないから、ぼくは哲学者になれれない性分なのだろうと思う。憧れと尊敬をもって、森本哲郎の本を読んでいる。 いや、まったく。日曜日というのはいまいましい日である。とくに午後がいけない。陽が午後に傾いていくのをぼんやりとながめて、やれやれ、こんなぐあいに休みは終わってしまうのか、などと考えると、なんともやるせない気になってくる。月曜日は忍び足で近づいてくる。しようと思っていたことは山ほどあるのに、なにひとつしないうちに休日は去っていく。 この出だしの一文でやれてしまう。それは、ぼくも毎週思っている。ソファーにすわって窓の外の空の色を眺めながら後悔をする。ただし、「サザエさんシンドローム」ではない。会社が嫌いなわけではない。職場も仕事も好きである。それでも仕事とは違うことをやるには週末を使うわけで、やりたいことがいろいろあっても結局夕飯にワインを飲んだらもう寝るしかない。そういうものだ。オレはたいしたことができない人だなぁ。 この本は、結局のところ「人にとっての豊かさとはなにか」を考える思索的な小説であり、インドへの旅を含めた経験から物語るワザは森本哲郎ならではのものである。結論めいたものは、別の本と同じであるのだが、たいていは一般的には貧しいと思われいている人たちの生活を近くでながめると彼らの方が幸せあんだろうという思いを紹介するのだ。 こういう思索的な本を読むと、自分もつられていろいろ考える。だから、哲学の勉強には持って来いなのだ。ある人がどのように思索していくのかをゆっくり追体験できる。人の思考過程、とくに、数学的な表記ができないものは、こういう本をゆっくり読みながら考えることでしから学べない。もし、自分一人でやるしかなかったら、とても見晴らしの良い風景のところまでたどり着けないであろうと思う。若い人ほど読む価値があると思うのだが、この本の書き出しに共感することはないだろうから、その場合は別の本を紹介する必要があるだろう。 この本を読んでこう思った。日曜日の午後2時から夕方までは、むしろ放心状態でいた方がいいかもしれない。効率的に思索するなど無理なのだし、ぼくのレベルではまず問題をゆっくり形にするところから始めないといけない。 |