ひとはなぜ学歴にこだわるのか
ずばりのタイトルである。なんでなのかといわれても、レッテルとしてすごく情報量がありますから、当然そうしますよ。この本でどんなにレッテル性に疑問を呈してもダメでしょう。世間がそれを欲していますから、負け試合になります。ほっておくしかないです。 いろいろな大学の学生と接する機会が多いのですが、内容は大学によって変わることはありません。同じ大学でも個人としての違いが圧倒的に大きいです。ただし、大抵の人は大学のカラーに合わせてようとしているようです。早稲田は早稲田的、慶応は慶応的というように。直接モノを造り出す仕事に付く場合は、それが理科系であろうと文科系であろうとなんだっていいのですが、大学は関係ないです。一方で、管理職とはマネージャーのような仕事は大学名が幅を利かせます。だって、バレませんからね。 この本では学歴を相手に、そのメカニズムを探ろうしていたり、実際をレポートしていたりとします。だだし、結局のところ早稲大学出身の著者のことが書かれている章が一番正直な言葉で淡々とかかれていてよいと思います。まぁ、その程度のはなしなんですどねぇ、と読める読者がどれだけいるのかは疑問がありますが。 日本の社会が学歴社会である面が大きいので、この問題はどうにもなりません。会社員はつまるところ学歴しかないのです。役人や学者は東大倶楽部にいるほうが圧倒的にお得です。では、そうでない人はどうすればいいのか。この本では書かれていませんが、方策はあります。現実と接地した仕事をとることです。歌手だって画家だって、プログラマーだって、小説家だっていいです。結局、「面白い」とか「すごい」とかあるいは生き死ににかかわるような仕事につけば学歴問題は解消します。日本の社会で学歴がとやかく言われるのは、要するに実力がばれないサラリーマン社会だからでしょう。
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