<現代家族>の誕生
社会学というものがあるのだとしたら、おそらくこの本のようなものがアウトプットとして優れた評価を受けるのだろうと想像する。まったく、すごい。どう表現していいのかわからないのだけど。家族、という現象を中心に日本の現代社会がどう変遷したのかがわかる。物事はいろいろなものと関連をもっている。あるものが他のものによって影響され、その結果別のものへと波及する。実にダイナミックなものなのだ。そういうイメージをぼくに与えてくれる。テレビ番組でやってくれないかな、と思う。そうすれば、見る人はたくさんいるだろうから。 現在の普通の家族の食卓風景について、ある意味本当の姿を見せる。そこが話の発端になる。食パンとラーメン、総菜がごちゃごちゃになって置かれているが、これが夕飯だというのだ。まさか。さすがにそう思ったのだが、どうやらこれが以上な風景ではない、とこの本は話を切り出している。まさに、驚きの風景である。一体全体、どうしてこれでいいのだろうか? どうして、こんな家族ができちゃったのだろうか? このお母さんはどうしてこれいいと思っているのだろうか? どんな育ちかたをしてきたのだろうか? これが、探求のそもそもの動機である。そして、それは十分に「科学」である。 結論への解明の道筋はこの本を読んでもらうとしよう。別にミステリーでもないから結果をいってしまうと、戦争ってやぱりスゴイインパクと社会に与えているんだなということ。そして、現代社会の変化のし方は、親の機能を無意味にするくらいインパクトがあるのだとわかる。実にビックリする。親でさえモノを教えられないのだから、おばあちゃんが役立つはずはない。なるほど、家族という言葉が指し示す意味が、どうやら戦後社会で変わってしまったようだ。もっといえば、家族の形態が日本で定着してから数百年たっているが、それがここ数十年で変わってきているのだ。 それだけではない。生活の色々なものも、絡み合っていることがわかる。電気洗濯機などの家庭電化製品が主婦の仕事を減らす。すると、ヒマになった時間ができる。テレビはワイドショーを料理番組を始める。町ではお買い物を勧める。情報交換が頻繁に行われる。考えてみれば、戦中戦後は食べるのが精いっぱいだったのだから、家庭の味なんてあるはずない。その世代が料理学校へ通い、婦人雑誌やテレビで料理を憶え、それを子供にだす。インスタント食品、冷凍食品、総菜屋が幅をきかす。いったい、どこに古くから伝わる料理がるのか? 生活のための道具が変わる。どうして、おばあちゃんが知恵があるのだろうか。社会に対応していくのは常に若い人であるならば、継承するべきものはない。かくして、家族が家族たる意味を消失される。 なかなかうまく説明できないが、そういう色々なものを一気に知ることができる。稀にみる本である。私は勉強になった。そして、考えるようになった。家族って、本当に必要なんだろうか。 |
