ルネサンスとは何であったのか
この本はすでに何度か読んでいるのだけど、文庫本で発売されて人気がでているようだし、たまたまギリシャに出張することもあったので機内で読むために購入した。ぼくが一番最初に手にした塩野七生本である。 ヨーロッパへ行く機内、最初の3時間は極楽である。元気一杯でワクワクした気分の中、シャンパンを飲みながら塩野七生本を読む。涙がにじみ出るくらい幸せなひとときである。それが狭いエコノミーシートであっても、最初の3時間はなんとも思わないのだ。ただし、3時間過ぎから地獄のような苦しみがまっているのだけど。 この本は書き下ろしである。体系だった説明をしている。もちろん、そこは塩野七生である。素直に先生の言われることを感心しながら聞く気分になる。勉強するって、楽しいな。そういう気分全開で読むのである。歴史を学ぶことそのものの意義を完璧に教えてくれる。おそらくだが、日本に現存する歴史の先生の授業を受けるだけならば、歴史の授業なんてないほうがいいのではないとすら勝手に想像する。なぜならば、それは「歴史とはつまらない」という認識しか与えてくれないからである。 この本のおまけである対談ではビックリすることがあった。単行本にはなかったもので、最近収録されたものなのだろう。だから時効という意味ものあったのだ。日本にいるルネッサンス研究者やマキャベッリ研究者の塩野七生いじめがどいうものなのか初めて知った。この学者たちはバカである。そうとしか言えない。すなくとも、塩野七生が絡んでくるなら金輪際仕事をしない、という脅迫をNHKなり出版社なりに出してくるような人しか、学者にはいないようである。だれも読まない日本語の研究所を出版する愚行くらいくだらないことをやっている人はないのだけど、まぁ、仕方ない。この程度なのだ、日本の学者などというものは。 ぼくは普通の人である。だから、普通の人の生活を支援してくれるようなものが本として存在してほしい。ぼくは、学者が学者であるための理由付けのようなものにいかなる価値も見出せない。できれば、税金も使って欲しくないが、まぁ、しょうもない人が蠢く世界もつくっておかないと、かれらが普通の人に害悪を及ぼすとも限らないから、ほそぼそと大学の一角で生息していても仕方ないだろう。そんな気分になる。 まぁ、そういう悪口はどうでもいいや。中世を経て、人が「自分でものごと考えるようになっていく」過程を描いて見せてくれるこの本は、人生になんどか立ち寄るにたるものをもっていると思う。多くの人に読んでもらいたいと素人ながらに思うのである。 |
