株式会社という病
内田樹と親しい人で、若い頃会社を立ち上げていた事もある人だそうだ。内田本でもよく登場する、尊敬すべき人ということだ。以前から気にはなっていたが、マーケットプレースで安いものがあったので購入してみた。 のっけは少し「きちっとした」説明から始まる。株式会社とは何か、それがどういう問題をもっているのかについて。読みごたえ十分で、この前書きだけでもこの本を買ったかいがあったといえるものなのだが、休日にソファーで座って読む本ではないかもしれない。読み始めでは頭のモードが切り替わっていなかったので少しくらくらした。水を飲んで、姿勢を正して読み始めた。 会社というものが輝いてた時代、サラリーマンが憧れだった時代、その理由と社会背景の説明、社会の変化、会社は誰のものかという問題がある。この辺りは、どこかで一端を読んだことがある。なるほどなるほど、と読み勧められる。そして、利益を追求する態度、限界がある自然な欲望と無限に拡大する人の欲望の話。働くというプロセスから結果を求めることへのショートカット、そして金で金を買うという論理。自分の父親の時代から自分の時代へと流れるように現象、背後関係、その先を見せてくれる。この辺りは、感動てきである。頭のいい人が自分の周りにいて、こういうことを折りに触れ語ってくれる人がいたらなぁとつくづく思う。まぁ、そのためにはぼくがすごくないといけないから、ちょっと無理かな。 つまんない授業をやるよりも、こういう話をしてくれたほうが先生の存在意義があるんじゃないかと反省した。たまに学生と接することがあるが、次からはそれとなくこういう話をしてあげられたらと思うが、まぁ、「説教」という認識になるからムダかもしれない。それでも、ぼくにこういう助言をしてくれる先輩友人後輩がいたらなよかったなぁと思うから機会があったらしてみたい。結局、内田樹や平川克美を読め、ということで話を締めくくるだけかもしれない。それだと効果ないのだが。 『ウェッブ進化論』への疑問提示が印象に残っている。知はネットで検索可能であるという主張の本にたしての平川の疑問。お前のいう「知」は、情報ではないのか? すごい、すごすぎる。インターネット礼賛のなかで、こういう疑問を提示してくれた人はいなかった。まったく、いなかった。つまり、これは「漢和辞典があれば、漢字博士になるのか?」というものに近いだろう。教科書持ち込みにしたら記述式テストは100点がとれるのか、に近い。いや、最近はネット検索でレポートを書く人が多いのかもしれないけど、それって要するに「カンニング」だよね。カンニングは結局自分の損にしかならないのだけど、それが「知」なのか? そういうことを考えさせられた。というか、ぼくも気付かなかったのだ。 ということで、平川克美の本も漁ってみようと思う。 |
