東京ファイティングキッズ
内田樹と平川克美の往復e-mailの本である。e-mailでの対話が本になるのかと思ったが、なっている。なんだかきっちりした内容を交換しあっていて尊敬してしまう。扱うテーマが高尚なものではないけれど、だからといって読んでいてい学べてしまう。出版されることを前提にかわしたメールだけれどよそ行きな雰囲気がしない。おそらく、両者はいつもこのような会話をしているのだろう。ぼくの知らない世界を覗けた気分がする。 普通の人はこういう会話をしているのだろうか。ぼくの身近にはいないかもしれない。なるほどなぁと第三者が頷くような論理なり考えなり思想なりを普通のe-mailで出せてしまうのはなぜだろうか。明らかなのは、地に足がついた考察結果だということだろう。何かの引用があるにせよ、彼らが深く考えて自分の言葉でしゃべっているからだろうか。抽象的なものいいがあっても、それが「抽象的だな」という気分にならないのだ。それって、自分で考えた言葉の特徴なのではないかと思っている。 人がもつ欲望の無制限生についてとか、贈与とか、これらはすべて一般には「高尚」と見とれられた学者の研究成果を下敷きにした会話として取り上がれている。その使い方が実に的をえているために、それら学者について知らないぼくですら、なるほどなぁと「意味」に感心してしまう。キーワードをならべて「おれってスゴイだろう」ということを相手に伝えることが目的じゃない人の現代思想の話が出来る人は内田樹くらいなんだろうと思う。まったく。 友達って大切だなと思う。彼らは物事がよく見得ているのだろう。高い山から過去や外国など見晴らしがいいところで会話をしているのだろう。おれにもいればなぁ、などと思ってしまう。しかし、まぁ、それは無い物ねだりだろう。それに、そんなことを言っては現在の自分の友達に失礼というものだ。今のままでいいや。 |
