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東京ファイティングキッズ・リターン

内田樹+平川克美
バジリコ 1500円
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 二匹目のドジョウ。ではあるけど、前回の往復e-mailに量の制約はなかったのだし、両者はずっと友人であって昔からこういうやり取りを続けてきたのだろうから、この企画はいつまでもつづけらるのかもしれない。読んでいて、前回からの続きだとか、2冊目のテーマといったようなものは全面にでているようには感じられなかった(ぼくがわからないだけかもしれないが)。つまり、始まりも終わりもないような、川の流れのようなやりとりがずっとあったのだし、あるのだろうという気がしている。ぼくはたまたまある一部分を本という形で読んだけ。

 そのなかでも個人的に気になった箇所がある。

 ぼくは、標準化、大量生産、分業生産といったものが、ものづくりの中心的な課題を破壊させたと書きましたが、それは別な言い方をすれば、ものづくりの中に脈々とながれている時間といったものが消失してしまったということだろうと思います。

 ビジネスについての件でのやり取りなのだけど、工学をやっているぼくは以前からずっと同じことを考えている。とりたたて新しい主張ではないのだけど。

 すぐに結果を得られれば効率は高い。効率が高いと「よい」という判断をされる。これが研究であってもそうで、「この研究は〜の効率を上げることを目的とする」というものを見かける。それに、いわゆる「プロジェクト」というものが分業の最たるもので、研究活動までがプロジェクトになってしまう。一体なんんだろうかとずっと思ってきたので、ビジネスに向けられての言葉であっても気になるのだ。

 そういう話ばかりではなく、たまにおばちゃんのような意見を目にすることがある。それは、人の生活を第一に考えるという姿勢からの記述である。政治家の問題とか国際関係の問題かなにかについてのコメントをいろいろ集めた記事があったそうで、その中での小林カツ代の意見を取り上げていた。

「他国が嫌がることで、すぐやめられることならばやめましょうよ。誰も損をしないんですから」

 まったく。こういう発言をひろってくるのがすごい。全く妥当な話なんだよね。オッサンは、なぜか「床屋談義」が好きで、それが本当に社会に貢献できると信じているからくえないのだけど、そういうところをおばさんはついてくる。

 二人の会話もいろいろ言っているけど最後は現実に設定されている。すべきろんとうか、天下国家を論じるオッサンたちではない。マージャンをやりながら話すとお二人はいっているようだけど。

 だから、こういう発言もでてくる。

 大きな政府と小さな政府のどちらを選ぶんだと問われれば、俺は、「そうねぇ、中ぐらいがいいんじゃないの」とあいまいに答えるしかない。

 「本当に」考えるとそういう答えでしかない。白黒つけない。というか、白黒つけるという選択そのものがバカなんだよ。そいう教えてくれるようだ。


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