「超」整理法を使っている。いや、紙はなるべく超整理法で整理している、という意味である。整理というか、整理ではなく時間順に並べて棚に置いているのである。
ファイルにまとめるときにインデックスを整理するのが面倒なので、結局こんがらがってしまっていた。「超」整理法を読んだ以後は単純に時間軸に並べているだけである。それでなんの問題も起きていない。あの本は非常に現実的なことを教えてくれた。
メールも書類のアナロジーとして置いていた。メーラーの検索はやたら時間がかかるので、時間軸にフォルダを並べておいて、その中にメールを放り込むという方法をとっていた。「超」整理法を軸に整理していたのだから、ぼくの生活にはあの本は非常に貢献してくれていた。
この本を書店で見かけたとき、「まだまだいろいろ工夫をし続けているのか」と驚いた。結構な歳だろうが、PCのことで本を書けるのだろうかなどと余計な心配をしてしまった。
しかし、よくよく考えるとぼくよりも長くPCを使っている人である。この人の方が使い方は上手だろう。
例え文系であっても、勉強の仕方を知っている人なら物事を上手に自分の道具にすることができるものだ。ぼくもきっと学べる事があるかもしれない。そう考えて手に取った本の表紙には「整理するな、検索せよ」とある。あ、そうきたか。言わんとすることが分かった。うれしくなった。
インターネット上の検索はグーグルを使っている。しかし、自分のPC上では「検索機能」あまりつかっていない。スポットライトもグーグルデスクトップもその効果に疑問を持っていたのだ。メールについても同様だ。
だから探すときは記憶を頼りにした「超」整理法で整理されたフォルダを漁って済ませていた。それに、ぼくはほとんど「検索」をしないで過ごす事が出来ていたので、あまりこれらの技術に興味を持てないでいた。
ところが、自分のPC内の情報についての検索についてこの本を読んでいるうちに、あぁと気がついた。メールだ。メールについては、サンダーバードの本文検索が遅いので敬遠していたのだが、なるほどあれをグーグルデスクトップに読ませておけばいいのかと再認識した。となると、マックもスポット・ライトで検索すればいい。
実際、手元のPCを使ってメールをこれらのツールで探したら「意外」に便利なので驚いた。なんでもっと辛抱強くこのツールを使おうとしなかったのか不思議な気がした。使えるそうだと分かったので、早速過去のメールをすべて一ヶ所に整理し、ウインドウズはグーグルデスクトップで、マックはスポットライトで検索するようにした。
この作業にたいして時間はかからなかった。もうこれでメールを読んだ後にどのフォルダへ移動しようかと考えないで済む。すっごく楽な気分になった。そうか、検索せよ、か。
まだまだ野口悠起雄からは学ぶことがあるんだな。いや、たくさんあるのは分かっているが、もう経済についてはいいやという気分になっていたので。コンピュータの基本的な使い方まで教わろうとは思っていなかったから、驚きと感謝と尊敬が入り交じっている気分である。
PCは道具である。そういう思いに野口悠起雄は微塵も疑いを持っていないんだろう。周りのいるオッサンたちはPCのメンテナンスは爺さんがするものではない、と思っている。普通に生きてきたらそうなるだろう。でも、この人は違うんだ。
歳をとった人で自分のロールもデルになってくる人がいるとうれしい。いや、ぼくには目標がないとかそういう意味ではなく、ぼくもこういう爺さんになりたいなぁと思う人がいてうれしい。
グーグルが今のようなレベルでは使えなくなる日がきたらどうなるのだろうか。その不安をグーグル・フォビアというのだそうである。だから、グーグルに依存しないように行動する。それも一つの解ではある。
でも、今は使えるし、しばらく使えるだろう。五年後に使えなくなったら。その時は環境がいろいろ変わっているだろうから、その時考えばいいかなと思っている。今の延長としての未来はない。きっと想定外のことがある。
だから、検索というものを水道のように考えて、それを面白く、役に立つように工夫することをぼくも続けようと思う。
そういう気分になれたコンピュータの本はずいぶんと久しぶりに会った気がする。