ぼくはイヤな気分を長く引きずるほうで、思い出し笑いならぬ思い出し怒りをすることも結構ある。いったん腹がたつとなかなか普通の気分に戻ることができない。もちろん、オトナなので八つ当たりをすることはないのだが、とはいえ腹が立つ事を思い出しているときは顔つきが悪くなる。いつも嫁さんが心配そうな顔でのぞき込んでくるので、そういうときはなんとも申し訳ない気分がしていた。
この本にはいやーな気分をどう扱うかのコツが書かれている。しかもかなり簡単なことで、頭で考えると簡単にできそうだ。なぜなら、単にイヤなことを考え始めたら、それを止めればいいということだから。目から鱗の本である。
イヤな事をついつい考えてしまう人は、なぜイヤな気分になるのか、どうして自分はこんなことになるのかを極限まで考えようとする性質があるということだ。まじめな人ほど自分のなかでイヤな気分をため込み、さらにそれを増幅させてしまうとか。
少しはまじめなところがあるぼくも「なぜなんだろうか」とずっと考え続けてしまう事がある。しかし、なんらかの答えがでたとしても、それで腑に落ちるということはない。答えが出てもまた最初から考え始めてしまう。歩いているときや電車の中にいるときにイヤなことばかり考えていると、涙がでそうなくらいイヤな気分に漬かってしまうことがあり、自分でも困っていた。
この本が教えてくれるには、考えてもムダだということだ。そして、ある事柄とイヤな気分というものをセットで扱うと、それは深く結びついてしまうという。例えば、ある人を見ていやな気分になるのを続けていると、イヤな理由がなくてもその人を見るとイヤな気分になってしまうそうだ。
人の感情の発生メカニズムは論理ではない。そうなるのだから仕方ない、と言うたぐいのものである。イヤな事とイヤな人との間に相関が生まれてしまったら、不条理だろうかなんだろうか、そういう感情が湧いてしまうのが人だとうことだ。同じような状況を長くつづけると相関は更に強くなる。原因追求など意味がない。
ならば解決方法も簡単で、相関させなければいい。実に単純だ。
イヤな気分になったときに、イヤな気分を感じる自分の注意をそらす方法が書かれている。
まず、首を回す運動だとか、肩を回すことだとか、いわゆる身体を使う方法を推奨している。そして、ウソだと思ってやってご覧と言っている。
あるいは、言葉による暗示。なるべく「できる」ということを言葉にしながら言葉が行動を誘うようにする。これも、言葉と身体の相関を意図しているのだろう。
ぼくが一番気に入った方法は、イヤな気分を感じるようなことを考えるのを後回しにするという方法である。
例えば歩いているときにイヤな事を思い出すことがあるが、そういうときは、「あとで考える、今は考えない」といってイヤことを考えないだけでいい。実に簡単なことだ。これ以上簡単な方法はない。
イヤな事をなぜ考えるのかといえば、それは自分にとってはもはやある種の探究であり原因究明であるからだ。
「なぜ、そんなイヤな結論になるのだろうか。」
このように、ある種の不条理さを頭の中で探究しているのである。そして、その原因が明らかになった暁にはイヤな事が綺麗サッパり消えてなくなると自分では期待しているのだ。
しかし、そんなことはない。イヤな気分が強化されるだけ。また、イヤな気分を抱えているときはストレスが頭の中に満ちているので、それは身体を蝕んでいる。そういうことなのだ。
とうことで、これをしばらく続けてみる事にする。