思考の補助線
エッセイをまとめたものである。茂木健一郎が売れはじめてから出版されているので、最近のエッセイかと思っていたが、内容はすこし4,5年前くらいのものだろう。どちらかというと「めんどうくさい」タイプのエッセイ。哲学というか思想というか、そういう読者に向けての文章である。内容が高度かというと、とくにそんなことはない。扱っているテーマは茂木健一郎自身だから、難しくなりようがない。いつになく、面倒な口調なのでめんくらってしまう。連載された場所が知識人が好んで読む硬派なものなのだろう。 |
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エッセイをまとめたものである。茂木健一郎が売れはじめてから出版されているので、最近のエッセイかと思っていたが、内容はすこし4,5年前くらいのものだろう。どちらかというと「めんどうくさい」タイプのエッセイ。哲学というか思想というか、そういう読者に向けての文章である。内容が高度かというと、とくにそんなことはない。扱っているテーマは茂木健一郎自身だから、難しくなりようがない。いつになく、面倒な口調なのでめんくらってしまう。連載された場所が知識人が好んで読む硬派なものなのだろう。 |
帰宅時の電車内で読む本がない。仕方ないので乗り換え駅の本屋でささっと選んだのがこの本である。初めて目にしたタイトルで、インタビュー本ような感じがしたので買った。帰りの電車では集中力を必要とするタイプの本はちょとしんどいので。 この本を読み返して思った。最近と過去とでは茂木健一郎の興味の先が大分違う。昔は研究者だった。クオリアを追いかけていた。今は対談王である。有名人の話を聞くこと、色々な人と知りあうことが目的のようだ。出版される本を読む程度だと、なんか最近変わってきたなぁという程度の違和感を感じるだけだが、4年くらい離れた本を読むとかなり違う路線の人になっていることがはっきりする。 |
土牛禅図について、以前新書で読んだものがある。ひろさちやだったと思う。土牛禅図とは、簡単にいえば自分探しの旅の寓話を10コママンガにしたものである。牛が本来の意味での自分(本当の自分)である。それを探す。 |
塩野七生や司馬遼太郎のような作家の作品で、ヨーロッパの歴史を扱ったものが読みたい。そう思っていたら、佐藤賢一という人を知った。朝カルで受講していた茂木健一郎の講義の中で、この人の本を薦めていたのだ。なんでも直木賞を取った人らしいから世間では知られた人なのかと思っていたが、エンタメ系の作家ではないためか書店での扱いが少ない。当然ブックオフでも冊数が少ない。 |
茂木健一郎の講義で佐藤賢一の対談についての話があった。雑談のなかでのちょっとした一言に近かった。なんでも、佐藤賢一と対談したときに、フランス革命についての話を聞いたそうだ。そして、その中で歴史を小説として書く理由について教えてもらったと。 |
ハプスブルク。もう、さっぱり。学生時代から世界史は基本的に敬遠してきたので、ヨーロッパ史についてはピンと来ない。がために、オトナになってから自分で面白く読めた本の中で扱われた時代以外は、全くの闇の中なのだ。興味があれば自然と単語が頭にへばりつくし、関連する街の映像も心に残る。だから、女の人だとヨーロッパに旅行へ行く人が多い(と思っている)だろうから、この辺りの歴史についてはぼくよりよく知っているだろう。それに、ヨーロッパ王朝のきらびやかなイメージは、色々な機会で映像を目にするので、そういうものを通して親近感を持つ女性が多くてもおかしくない。ぼくにはそういう機会はない。 この本はいわゆる旅行記である。ハプスブルクの歴史において事件があったり、関係者の出身地だったりする、どちらかといえば田舎の場所を淡々と訪ねたときのエッセイである。ぼくはこの著者の訳でカフカを読んでいるので、文章そのものにも取っつきやすい。旅をするときの視点もぼくには親しみやすい。ただし、読んだからといってぼくの本来の目的を果たす事にはならなかった。オーストリア帝国というものが栄え、そして消えていき、突然に近いかたちで消えてしまったために帝国のあったところの人々も文化も、スパッと切り替えができないままずるずると現在に至る。そういう、土地なんだなということしか分からなかった。しかし、まぁ、ハプスブルクの最初の入門としてはこれでいいかな。 |
東京に古くからある神社や寺がある場所は、縄文時代東京の低地が海だったとき、岬や海岸線だったところなのだそうだ。古い神社は、縄文時代を記憶している。そう、内田樹の本のなかでこの本が引用されていた。ひどく興味をもったので、ぼくはこれまで手にした事がない中沢新一の著作を読んでみようと思った。 ぼくは向島育ちである。隅田川の対岸は浅草。住んでいる街の道は比較的まっすぐなものが多く、それは直行していて、なにより平ら。坂道はない。自転車で走るとわかる。自転車で大変な思いをするのは大きな橋である。それが当たり前であった。ところが、世田谷だとかの西の方へ行くと、道はぐちゃぐちゃだし、アップダウンが激しいし、こんなところによく住むなと感心してしまうことしきりで、できれば住みたいなんて思っていなかったし、今でもそう思っている。そう考えると、ぼくは非常に狭い世界に生きてきたのだ。まぁ、それはぼくのせいではないのだけど。 |
ハンコックの新作だし、精神や宗教の起源を探究する本だということで購入してみた。ハンコックの本は書店ならばトンデモ本と同じような位置に置かれている。だから、この本もトンデモ本として認識されているのかと思っていたが、大手書店でも結構平積みされていたりして、扱いはトンデモ本ではないみたい。ちょっとうれしく思った。ハンコックの古代文明探究は、ぼくはオーソドックスな学問が欠落している発想を補ってくれるものだと考えるので、この本もそういうものであることを期待した。 |
河合隼雄との対談。少し前に対談していたようで、最近になって出版されたそうだ。出版された時、茂木健一郎は朝カルでの講義でこの本についてコメントしていた。最後の対談では茂木のことを立花君橘君って呼ぶので困ったそうだ。 出だしでお互いの研究分野のことを語り合い、両者の話がかみ合いそうなところを探している。脳学者からみた心理治療についての興味など。ただ、そういう話は一般の人からは距離がある。 不思議なところなのだけど、河合隼雄の本は知識のようなものが意識に残らない。全体としてどんな本だったのかは覚えているし、個別にあれこれトピックを思い出して語ることはできる。しかし、「勉強になったことは?」と問われると両手にはなにも持っていないことに気付く。 |
マイケル・クライトンが人間活動の結果による地球温暖化について反対の考えを表明する小説を書いた。しかも、CO2増加による地球温暖化論はある種の扇動だと切り捨てている。ぼく自身、昨今マスコミを騒がしている地球温暖化論はウソだということがよく分かってきたので、この本を楽しく読めた。読みながら、そうそう、と頷くことしきり。さすがにクライトンである。冒険やサスペンスといったハリウッド要素をふんだんに取り入れているにも関わらず科学を勉強した人ですら安心できる「温暖化論はおかしい」と説明するロジックをきちんと展開している。エンタメと科学とが同時に入っている小説はとてもめずらしいであろう。この小説、ぼくは一押しである。 「いいこと」を人々に普及させるためには、その「いいこと」を分かりやすく説明することが必要だと言われている。最近ならば、言葉で説明するよりもマンガにしてしまうとか、アイドルを起用したキャンペーンを行うとか、論理ではなく感情に訴えるといった方法である。人々に「いいこと」の良さが分かってもらえない理由は、分かりにくいことが原因だというわけだ。「いいこと」は無条件に「いいこと」であるという考え方である。 それにしても、政治的な主張を小説という形で表現してくるアメリカの社会には感心する。同様の試みがこれまで日本であったのか、無かったのかは分からないが、エンターテイメントという意味合いでしか小説が存在していない社会では、こういう試みはどう評価されるのか知りたいとこである。が、結局作者の意図など無視して、人物造形がどうのこうの、トリックがどうのこうのということでしか語られないのだろうなという気もする。 |
考え込んでしまった。なるほど、そういうからくりだったのか。アメリカ発の国際情勢、紛争の原因はピーク・オイルを睨んだ政治的な行動なのか。だから、普通の人がどんなに犠牲になろうともアメリカは「正しい事」をしていると主張するし、良心の呵責にさいなまれることもない。ピーク・オイルの問題は他人が本腰を入れる前にやらなければいけないことだし。世界情勢についての解説をただ聴くだけでは目くらましにあってしまう。ピークオイルが補助線になる。 |