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地球最後のオイルショック

デイヴィッド ストローン
新潮選書
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 八重洲ブックセンター

 考え込んでしまった。なるほど、そういうからくりだったのか。アメリカ発の国際情勢、紛争の原因はピーク・オイルを睨んだ政治的な行動なのか。だから、普通の人がどんなに犠牲になろうともアメリカは「正しい事」をしていると主張するし、良心の呵責にさいなまれることもない。ピーク・オイルの問題は他人が本腰を入れる前にやらなければいけないことだし。世界情勢についての解説をただ聴くだけでは目くらましにあってしまう。ピークオイルが補助線になる。
 考えてみれば、毎日の生活において、手で直接触れる「物体」から手で直接ふれられない「放送」などのという概念の普及ということまで石油が大きく貢献している。今はそういう世の中に住んでいる。人やモノの輸送に必要な「力」の源泉であるエネルギーも石油であるし、生活材からビルにいたるまで、多くの物質の原料にも石油が使われてる。さらに、それを作り出すとき時にもかなりの石油が必要になる。つまり、どんな切り口で考えても、今の世の中は石油が支えてくれているのである。
 このような世の中になったのは、ほんの100年というスケールである。歴史においては短期間にも関わらず、ずっと昔からそういう社会であったような気がするから不思議である。人は、自分の経験を「あたりまえ」として考えているので、生まれたときからある世界は過去から未来までそういうものだと思い続けてしまうからである。
 明治や江戸の時代より昔になると日々の風景は全く変わる。いや、石油に依存する直前の状態、たとえば戦前くらいであっても日本は違う風景であったろう。
 電気は結局のところ石油が支えているし、物質の移動(トラックや電車)はほぼ百パーセント石油(ガソリン)による。プラスティックや樹脂なども石油なのである。あらためて考えるといやになってしまうくらい、石油が使われてることに気付いてしまう。
 こんなにまで石油の潜在を前提としているのならば、石油はずっと「ある」のが当然と思うものである。例えばボーナス月が毎月でないことを知っているのは当然のようなもので、一時的に使えるだけのものだったら誰も石油に頼らない。ずっと石油はあると社会は同意していることになる。
 しかし、石油は掘り出してくるものである。しかも、水とちがって地球上で循環しているものではない。一方的に消費するだけ。産み出されることはない。石油を使うことは、貯金を食っているようなもの。ならばどうして社会は不安にならないのだろうか。
 石油が枯渇する。このフレーズは恐怖を呼び起こす。しかし一般的には狼少年の警告なのである。いずれなくなるだろうけど、すぐには来ないだろう。ぼくが子供の頃からそう言われている。現に、石油がなくなるなどという報道は現在でもない。だから、石油枯渇という話や警告はデマということで世の中に了解されている。
 この本は石油の枯渇を訴えていない。枯渇についてを全く問題にしていない。枯渇などはどうでもよい。もっと大切なことがある。それは、石油産出量がピークを迎えることだ。これが問題だといっている。
 石油は掘り出してくるものである。需要が高まれば、新しい油田を掘り出すことでそれに応える。石油は生活必需品であるので、必ず売れる。だから必ず儲かる。必ず儲かることならば多くの人が油田を探す。だから、今も日々新しい油田を探しているし、実際見つけて掘り出している。
 しかし、地球が有限なかぎり出てくる量に限りがある。ゼロから増えていった石油生産量はいつか生産量がピークになり、やがて原産していき、最後は枯渇する。この事実で注目すべきなのは、最後ではなく、途中のピークである。
 経済学で重要な概念に需要と供給のバランスがある。あるものを欲しい人がたくさんいれば、その値段は上がる。そして、値段が上がると買える人は少なくなり、需要はへる。そして、需要と供給ががバランスする。ものの値段はそこで決まるという考え方である。
 石油は欲しい人がたくさんいる。発展途上国の人も欲しいだろうし、中国やインドなど猛烈に発達している国もエネルギー源としての石油はどうしても必要である。だから、需要が増ええている。その需要の増加分は現在は生産量の増加で補っている。だから、石油の価格が現在のレベルで落ち着いている。
 ところが、何かの拍子に石油増産ができなくなると、石油価格が高騰する。すると、世界中にいろいろな問題を引き起こす。なにせ、現在の石油価格水準を前提として社会がつくられているのである。一割価格高騰でもいろいろな問題がでる。それくらい、石油を前提とした社会においては、石油価格、ひいては石油精製量が重要なのである。
 ここで、ピーク・オイルを迎えたとする。これ以上石油精製量が増えない状態になるということだ。まず、すぐに石油価格が上昇する。二割、三割、四割と上昇する。社会に混乱が起きる。
 石油が他の商品と違うところは、価格弾性が低いことである。価格が上がったからといって、それが贅沢品になるということはなく、上がっても必要なものは必要である。すると、需要と供給とがバランスする価格がるが他の商品とくらべてずっと高い。今では考えられないような高い値段になっても売れることになる。
 石油価格が高騰すると、社会生活においてあらゆるものの値段が高騰する。贅沢品がたかくなるのではない。電気や輸送にかかる値段が高騰していく。要するに、エネルギーを使うことはすべて高くなる。
 値段が上がると量を少なくしてバランスをとるものがある一方で、存在そのものが消えるものがある。例えば、普通の人の海外旅行はお客さんがある量を下回ると「ジャンボジェット」が維持できなくなるので、いわゆる海外旅行という概念が成立しなくなるかもしれない。
 当たり前である。社会の前提が変わるのだから、社会そのものがかわってくる。明治人が現代の日本の生活を想像できなかったのと同じように、現代人もピーク・オイル以後の世の中を想像できないだろう。
 人は見たくないもは見ない、というクセをもっている。ピーク・オイルの話は当然見たくない部類のものである。だから、ピーク・オイルという問題は枯渇の問題にすり替えられてしまう。そして、それは狼少年の例だろうという結論になり、ピーク・オイルの問題は無視されることになる。
 いや、そもそもピーク・オイルの問題を知ったところでどうにかなるようなものがあるのだろうかという気がする。実際のところ、どうにもならない。一人でできることが全くないのである。一人一人が節約しても、その分を他の誰かが使うだけであって、トータルのはなにも変わらないのである。
 ぼくが生きている間にその変化を目にすることがあるかもしれない。いや、その変化の影響でぼくは死ぬのかもしれない。まぁ、でもそれはしょうがない。
 古代ローマの賢帝の一人トラヤヌスの時代、ユーフラテス側の東には「燃える水」がわき出すところがあるという記録が残っているらしい。素晴らしい建造物を作れた古代ローマでも石油を使うことを思い至らなかった。ぼくの時代よりも100年くらい前から、石油を使う知識を得たわわけだ。そして、それが原因で社会は繁栄することがあった。
 この時代が異常だったのだろう。よく、文明は加速的に発展しているので、そのうち人類は滅びるなどと主張する人がいる。今でもいるのかもしれない。あるいは、地球温暖化などといって百年、二〇〇年先の世界を騙る人がいる。しかし、その人たちは、このピーク・オイルを知らないでいる。
 オイルが消えるとビックリするくらい人類社会は後戻りする。そして、後戻るするだけでなく、そのときから進む方法は違うものになるだろう。というのも、エネルギー源がなくなってしまったのだから、もう一度石油社会へ進めることはできないのだ。違う歴史になるのだろう。というか、そのまま数億年経って、人間ではない違うものの世の中になっているのかもしれない。
 ドレイク方程式では、このエネルギーの影響を含めているのだろうかなどと思いつく。 
 そんなことを知ってしまった。未来を想像する方向が自分でも少し変わってしまったようである。

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コメント

 オバマ新政権はピークオイルの認識の下で動くと公言をするのではないでしょうか。

来年1月20日はポストピークオイルディ?
http://www.janjanblog.jp/user/stopglobalwarming/forum2/15885.html

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