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アースダイバー

中沢新一
講談社
お勧め指数 □□□□■ (4)
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 東京に古くからある神社や寺がある場所は、縄文時代東京の低地が海だったとき、岬や海岸線だったところなのだそうだ。古い神社は、縄文時代を記憶している。そう、内田樹の本のなかでこの本が引用されていた。ひどく興味をもったので、ぼくはこれまで手にした事がない中沢新一の著作を読んでみようと思った。
 この本には一枚の地図がついている。東京近郊までをカバーする地図で、現在の東京の主な神社や寺、墓の場所と縄文海進時の海岸線とが重ね合わせてある。東京の下町部分は下町というくらいすべて海の底である。また、上野やもっと新宿よりのあたりは陸地でその近くには貝塚の遺跡があったりする。なるほど、確かに海岸が東京の奥にあったのだ。
 現在でも上野やお茶の水の辺りを歩くと道路が登ったり下ったりしていることに気がつくが、それは縄文時代ならば海と陸を出たり入ったりしていることになる。
 この地図を眺めながら、街を歩くと海岸線が想像しやすいのだそうだ。著者はそういう散歩をしているそうだ。そして、その時代の岬の部分では本当に神社があるのだそうだ。歩いていると、ひょっとしてこの辺りはとなんとなく雰囲気がしてきて、実際神社があるという経験を何度もしたということだ。
 面白い。実際のところその地図を眺めてみると岬に神社が必ずあるというわけではない。そういう神社もあるというところだ。もっと素直に言うならば、「そりゃ言い過ぎだろう」という部分もある。怖くなるくらい、神社が縄文時代の岬にあるわけではない。だから、ちょっと煮え切らない。もちろん、そういう事実もあるし、実際そういうところは面白いし、ワクワクする。学説という程の説得力はないかもしれない。
 この本の著者はすごくロマンチストのようである。もちろん、実際に縄文期の土地利用の記憶を今でもとどめていることはあるだろう。また、人が住むというときに「住みやすい」という場所は心理的に良い悪いがあるだろうから、そういうところは縄文時代から変わっていないということも認める。それにしてもだ、ちょっと夢がありすぎる仮説ではないだろうか。
 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。理論ならば反例があると崩れてしまう。「古代の海岸線沿いや岬に神社がある」という主張は、当然だが現在の東京からは証明できない。ただでさえ古代のことであるからその証拠が残っていることは非常に珍しいのだし、これまで絶えず新しいものを人が作り出してきたのだから「必ずしも」それに合致しないところに神社を造ったこともあるだろうし。そもそも、全部がそんな意識の下で作ったことでもないだろう。要するに、そうかもしれないし、そうでないかもしれないということでしかない。
 学説の場合、こういう状態の取り扱いはどうするのだろうか。なるほどそうかもしれない学説であったとしたら。ぼく個人は満足するし、ワクワクもするから好きな説だから、それが「説」として登場ずるのは構わない。でも、それ以上のモノにはなり得ない。となると、なるほど一つの説明になるという段階でOKになるのならばそれでいいが、それは一種の面白い物語を語るということなのではないかと思う。理科系の感覚ではそういう評価しか下せない。文科系の世界は、面白いけどずいぶんと心もとないもののようだ。

 ぼくは向島育ちである。隅田川の対岸は浅草。住んでいる街の道は比較的まっすぐなものが多く、それは直行していて、なにより平ら。坂道はない。自転車で走るとわかる。自転車で大変な思いをするのは大きな橋である。それが当たり前であった。ところが、世田谷だとかの西の方へ行くと、道はぐちゃぐちゃだし、アップダウンが激しいし、こんなところによく住むなと感心してしまうことしきりで、できれば住みたいなんて思っていなかったし、今でもそう思っている。そう考えると、ぼくは非常に狭い世界に生きてきたのだ。まぁ、それはぼくのせいではないのだけど。
 そういうわけで、東京の土地に海岸線だの岬だのが隠れていると聴いて驚いた。考えて見れば、昇平橋からお茶の水は結構な坂を上がるし、上野は本当に山だ。それは知識として持っている。ここで、全く別の系統の知識にそれが繋がると驚いてしまう。と同時に妙に面白くも感じる。これが「発想」であり、脳も喜ぶ現象、新しいネットワークができたときの快感なのだろう。最近所用で訪れた東大赤門前の通りを眺めていたら道路が上って下る様子が見えてきて、なにやら現在と過去とを同時に想像できて、その場所にいること自体が楽しくなった。東京の生活に地味な楽しみを覚えた。
 東京にも地形というものがあるのか。素朴だがそれが一番の収穫である。そんなことも知らんかったのかと言われると、ハイそうですと応えざるを得ない。ぼくには地面が盛り上がっているところは「橋」であるという世界で育ったために、現実には坂があってもその重要性を「まったく意識しない」できたし、意識せざるをえない世田谷あたりは、こんなの東京じゃねぇだろうと思ってきたのである。まったく狭い了見だったと反省する。この歳になっても学問する意味があるのだとすれば、それはこういう「モノの見方」を広げてくれるものであるだろう。知識など増やしても仕方ない。それが若干「ロマンチック」なものであっても、新しい見方ならば歓迎するべきことであるし、一生を通じて勉強していくことって、こういうことなんだろうなと思う。
 中沢新一という人が他にどういう本を書いているのは知らないが、ちょっと外にも読んで見ようかな。

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