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「太陽の哲学」を求めて

梅原猛+吉村作治
PHP出版
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 八重洲ブックセンター

 表紙の写真に魅かれた。吉村作治が両手を使って説明している隣に帽子を被った梅原猛がいる。場所はエジプトのピラミッドかなにかであろう。逆光気味の劇的な場面である。
梅原猛はもう高齢だろう。それなのに、エジプトへ行った。すごい。しかも、ガイドは吉村作治。さすが一流どころである。どんな思いがあったのだろうか。梅原猛は仏教や日本について考えきた哲学者である。単なる「謎」といったことに興味を持つとも思えないし、わざわざ現地まででかける必要があったとも思えない。タイトルが「太陽の哲学」とある。たぶん、天照の神話とエジプトのラーとの関係を探るとかそういうことなんだろうけど、それにしても現地まで行く必要があるのだろうか。まったく元気な爺さんである。頭がさがる。
 八重洲ブックセンターで平済みされていたこの本を見たとき、そんなことをぼやっと考えた。差し迫って購入する理由はないのだが、まぁ、読んで見るかとばかり購入してしまった。日曜日や休日に本屋へ行くと大抵こういうことになる。休日の浮かれた雰囲気に「どれだけ時間があるか」とか「読んでない本は何冊あるのか」といったことは全く考慮されない。無駄使いになるかもしれないが、それでもそれがぼくの人生であろうと思い、楽しく本を読むことで休日の夜は更けていく。今日も多分そうなるだろう。
 読んでみた。エジプトの代表的な遺跡を巡り、その場所に関してあるいはその場所に関連したファラオやその時代、あるいは、政治的な動き、宗教、外国との関係について梅原猛が吉村作治に質問し、それに応えるというかたちで対談が行われている。ただし、その内容は一般的なエジプトについての本で読んだ事のあるものでカバー出来ている感があり、ぼくとしては目新しいものはなかった。太陽を神とする。そんな、自然への恐れの表現を宗教として形付けた人たちの感心は世界中で似たような形式となるであろうから、日本でもエジプトでも太陽神についての神話にはある程度の相似なものが起きておかしくない。それは、学者同士の議論でなくとも予想の範疇にある。だから、そういう議論を読んでも「へぇ」と感心する感情まではわいてこない。だからといって、つまらないということはなく、楽しく読めた。
 ちょっと気になったのは吉村作治のキリスト教のとらえかたである。余りにも平板な気がするし、聖書学については全く感心外なのであろう、キリスト教についての言及あるいは、古代ローマに付いての言及を聴くとTV野解説かと思えるくらい「べた」なものであって、意外であった。明らかに勉強不足である。エジプト学者というのは、エジプト学者なのだなと思った。

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