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「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法

茂木健一郎
講談社文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 BOOKS SAGA 長津田店

 以前、朝カルの講義でちょっとだけだが赤毛のアンについて茂木健一郎先生が講義したことがある。赤毛のアンのファンなのだそうだ。ぼくも赤毛のアンは子供の頃から好きだったので、内容はほぼ覚えている。ただし、アニメを通じて知ったので、アンは山田栄子の声でしかないのだが。
 時の人である茂木健一郎先生はどんなことを話すのだろうか。先生も子供の頃にはまったそうだ。が、原著で全部読んだそうだ。その辺りがぼくとは大分ちがう。普通はアニメで知ったはずだ。本好きな子は児童文学書、オトナは新潮文庫というのが普通だろう。そのあたりから先生は常人ト違う。慣れない英語で読みはじめたが、シリーズ全巻読破するころには英語に慣れたということだ。まったく、うらやましい出会いである。
 赤毛のアンについての話ならば、想像力についてとか、友人との関係について、恋愛についてなどをテーマにするのが妥当だろう。しかし、そんな赤毛のアン論は内容透けて見えるのであまり興味がもてないでもない。では、我らが茂木先生はどのように赤毛のアン論へと突っ込むのかと思っていたら、「道の曲がり角」をもってきた。すごい。あれは、ぼくも衝撃をうけた箇所である。人生は見通せると思っているけど突然角を曲がるようなことがある、というあれである。この言葉を物語の中で聴くと、悲しさとワクワクとが入り交じった実に不思議な気分を感じる。そんな箇所である。
 ぼくが聴いた先生の赤毛のアン論の講義は、20分くらいの内容で、どちらかといえば講義の中では寄り道ようなものだった。その講義で気を良くしたのか、朝カルで赤毛のアンだけで特別授業をしたそうだ。ぼくは聴講しなかったが。
 朝カルの茂木先生の講座に集まる聴講生は圧倒的にOLだあろう、教室は一杯になるが、そのほとんどは若い女性である。ぼくのようなおじさんは珍しい部類で、むしろ場違いな気がする。
 今でも赤毛のアン人気はつづいているのだろうか。あのお話は子供の時に出会えば、おそらく一生付き合えるはずだから、その世代が子供に赤毛のアンの本を与えれば世代を越えて読まれていくはずである。そもそも赤毛のアンは女性が好きなのだろうから、子供に引き継がれる可能性は高い。

 通勤の乗り換え駅にある本屋に立ち寄った際、この本が平積みされていた。新刊は大抵平積みなるが、この本だけが残り数冊だったので平済みコーナーに穴が空いているで、この本がずばぬけて売れていることが分かった。というわけで帰宅途中に読み始めた。 
 本書の内容の1/4くらいは朝カルの講義で話したことである。ただし、想像力を「仮想」という言葉で言い換えている箇所も多く、アンの話を脳学者らしい解釈をいれている。同時に、先生の子供の時の体験談も交えて語られている。確かに、小学生くらいだと赤毛のアンが好きと公言するのはちょっと恥ずかしいだろう。ぼくもそうだった。
 この本の対象読者はOLである。女性を狙った表現やエピソードを意図的に入れている。もう、嫌になってしまうくらい気をつかっている。これ以上その意図が感じられたら読み続けることができなかっただろう。でも、つまらなくはない。単に抵抗を感じたまで。きっと編集者は女性だろうし、それを意図しているのが見え見えである。

「道の曲がり角」についての解釈。これが、この本の最後の方で紹介されている。なぜ、道を曲がるのか。というか、なぜ曲がってしまうのか。茂木健一郎先生の指摘は、なるほどと思えるものだった。
 赤毛のアンは、夢と現実とが両方ともに末広がりになっていくことを期待させる。最後には幸せに暮らしましたという希望を抱かせる。が、物語の最後で結果的にはごく普通の人の人生にしぼんでしまう。恐ろしいほど現実的な結末であり、そういう状態でどう生きるかを示唆しているのだ、という話である。
 講義でこう聞いて驚いた。そうなのか。あれは、末広がりが確実に思えた未来が、現実には歳を取ると当時にしぼんでしまい、ごく普通のオトナになってしまうという、誰にも当てはまる現実をモデルにした話なのだ。それを聴いたとき、茂木健一郎を茂木健一郎先生と呼ぶ事にした。立った数回の講義を受講した聴講生の一人に過ぎないが、そう言いたくなった。
 第49話が「道の曲がり角」である。48話の最後にある次週予告のナレーションは、今見ても怖さとドキドキが同居しているクオリアを感じる。YouTubeで全編みれる。ぼくは、小学生であり、毎週日曜日のアニメを楽しみにしていた。アニメではナレーションの男性の声が、世界のフレームを規定していたように思える。神の目を持ったやさしい存在がナレーションの声からうかがえた。もう最終回が近いし、しかもその先に何があるのかわからないでいた。でも、明るい未来ではないのだろうと予測できた。
 最終回を見てしばらくした後、本では続きが出版されているのだと知った。母親にせがんで大きな本屋へつれていってもらった。昔の東京堂書店だった。あの2階にあった背の高い書架と梯と。まぁ、そういう思い出と一緒に赤毛のアンはある。小さい時に本を読むのは大切だし、本を読んだあとでリアクションをとるのはもっと大切なのだなと今にして思う。

 茂木健一郎先生は、人気がでたために変な本が沢山でるようになってしまったが、それでもたまにこういうちゃんとしたものが出版されるところに救いを感じている。赤毛のアンについてどんな本がこれまで出版されてきたのか、文芸研究についてはとんと明るくないのでなんとも言えない。が、それを知らなくとも、この本は単体として「素晴らしきガイド」であろうと自信を持っていえる。ただし、この本は赤毛のアンを知っている人に向けた本である。知らない人が読んで、果たしてどこまで意味をなすのか、ぼくはわからない。たぶん、もったいないことになるだろう。だから、このガイド本を読む前に、本編を読む必要があるという、実に不思議なガイド本である。さて、原作をもう一度読む返して見ようか、それとも村岡花子訳ではないほうをよんでみるか。人生に置いて、なんど読んでも良い本は、結局子供の時に出会っているのであろう。子供の時の読書って、大切なものなんだなとしみじみ感じた。

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