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昭和のエートス

内田樹
バジリコ
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 amazon.co.jp

 例によってブログのコンピレーションブックである。著者が主張している内容はこれまでの路線から大きく外れることはなく、それでいて読みながらふんふんと頷きながら頁をめくった。
 内田樹さんの思考経路にぼくは尊敬と憧れが入り交じったものを感じる。ぼくも人からコメントを求められたとき、こんな風に答えられたらなと思う。そんな意味でぼくのロールモデルとしたいと思っている。無理だとわかっていても、そう思ってしまう。
 内田樹さんのように考えるにはどうすればいいのだろうか。フランス文学を勉強しなければいけなかったのか、学生運動をしなければならなかったのか、あるいは日比谷高校で優れた友人との対話がなければならなかったのか。まぁ、それらどれとれをとってもぼくは関係がない。内田樹さんの出身(とうか中退)の高校は日比谷高校である。立派な人をたくさん輩出している名門である。日比谷高校が一高であるならば、ぼくは三高卒ということになる。先輩には芥川などもいるのに、まったくさえない人生を送っているのだから泣けてくる。まぁ、通った学校は昔のことだからどうでもいいかな。どうすることもできないし。
 最近の内田樹さんのエッセイで気に入っているものはだいたい次を主題にしている。一つは消費者メンタリティーがもたらした現代社会での人々の行動。それは、下流志向だったりモンスターペアレンツだったり。二つ目は株式会社としての学校は成立しないということ。学ぶとはの本質についての内田樹さん流の解説にいたく感心する。三つ目は、物事についての単純な解説に対する疑い。社会問題に対するコメンテーターの発言などでよく見かけるような、「原因はあれです」という実に単純素朴でナイーブな説を唱えることへの注意である。
 内田樹さんのブログについてもこの三つの話題がおもだったものだ。著者が大切だと思っている事柄だからだろう。
 こう言ったことをこの本でまとめて読むことになる。なるほど、そうだよな。と思いながら頁をめくる。自分で考えたことでもないのに、自分で考えたかのような錯覚を抱いてしまうのは、説得力のある文章のなる技である。自分すら騙さないように考えることは、おそらくこう言ったものをいうのだろう。
 今のぼくには、こういう内容のないメモしか残せない。なんとも悔しい思いだ。
 

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