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武術の新・人間学

甲野善紀
PHP文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 八重洲ブックセンター

 かつての日本には、小説や映画に登場するような、現代人からみれば超人のような身体能力をもった人がいたようだ。剣術使いならば、現代の剣道家とはまったく異なる次元の達人達が存在していたというのだ。
 忍者や剣術達人話の話はすべてホラであり、超人的な武術使いの伝説はおとぎ話なのだ。そう考えるのが現代人としての条件であり、「いやあれは実在の人だった」と考えるのは子供かアホかだけだから近寄らないほうがいいと考えよ。このことに普通の人の感覚からは大きな意義はないだろう。
 ところがこの本の著者はそう思っていない。武術の超人的な身体能力を持つ人は実在したのではないかという疑問を持ち、それについて調べ、また自分なりにその身体能力の開発方法を探究している。そして、なるほど実在したのかもしれないと人を説得できるにたる技を、身体の使い方を実演してくれている。

 現代の武術の身体の使い方、例えば胸を張った姿勢などを普通のひとは「伝統的な正しい姿勢」だと考える。ところが著者は、あれは明治以後のものであって古来から工夫されてきた身体の使い方ではないと言っている。明治政府が導入したドイツ軍隊のものかなにかが反映しているのだろうと。そして、江戸時代までの身体の使い方をいろいろな証拠となるものを寄せ集めて垣間見せてくれる。これがひどく興味深い。
 例えば有名なナンバ走り。現代日本人の走り方や歩き方は、明治になってからのもの。徴兵制によって普通の人を軍隊として早急に育成する方法が必要になった。そのとき、行進時に手と足を逆に振る歩き方、走り方が一般の人に教育された。現代ではそれが「当たり前」になりすぎて、他の歩き方などは存在し得ないような顔をしているが、日本での歴史は浅い。
 江戸期までは、歩くときや走るときに手は動かさなかった。肩で風をきって歩くときなどですら肩と足がそろってでていた。それをナンバ歩きという。この時代の絵をみると地震で逃げ惑う人々は手を前に挙げて走っている。現代ならばそんな方法で走れないはずだ。

 今からすると不思議なこともある。江戸期までは一日150キロくらい歩く人は結構いて、有名な早い人になると江戸から仙台まで一日で走ったような人がいたそうだ。現代の感覚でいえば、無理なのだ。マラソンはランナーを見てれば、現代の走行方法には限界があるのは見えている。単に「身体が丈夫な人がいた」ということで済ませることができないレベルの違いである。現代とは違った身体の運用方法があったはずなのだ。

 現代ではそれが失われてしまった。著者はその失われた身体の使い方を探究している。
 この本を読んでいると、著者はある種の考古学をやっているようにみえる。失われた文明を発掘しているような、考察して現代でも可能かを実験しているような、コンチキ号をしたてて航海するようなことをしているのだ。それは、著者の本音のとしての疑問に答えを探そうと工夫している試みなのだ。
 シンプルな動機がその人の人生を駆動し、工夫に満ちた日々を送っている。そんな人にぼくは敬意と憧れをもつ。養老孟司、内田樹、茂木健一郎の対談本でしからこの著者のことを知らなかったのだけど、今では是非ともこの著者の本をいろいろと読んでみようと思っている。とはいえ、ぼくは武道をやっているわけではないから、ピンと来ないことばかりかもしれないけど。

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