甲野善紀さんの本に興味をもったので、とりあえず文庫本の2冊目として手にした。インタビュー形式をとった本である。だからといって武術についてほとんどなにも知らない人がインタビューをしているわけではない。ぼくにとっては「はぁ?」という部分や「だれ、それ?」という箇所も結構あった。ちょっと甲野善紀さんに興味がないと読み進めることができないかもしれない。
武術についてあれこれ書物にしたとしても、それ読み解き武術として再構成することは難しい。そもそも武術をやっている人でないと、何を言っているのかすら理解できないし、ましてや身体の動きに戻すことは不可能である。そもそも、身体の機能や動きと言葉対応するはずないのだから。
そういう意味で武術そのものについては書かれていない。武術を巡る甲野善紀さんの考えやこれまでの行動について書かれている。
例えば、古来からあった武術の達人はどういう形で存在していたのか、現代に一番近い人ではどういう人がいたのか。戦後GHQが県道というか今でいう武道を禁止しようとしたとき、武道というものの凄さを米軍上がりのひとに見せつけた有名な試合があったそうだ。そこでは、今で言うK1のような格闘を仕掛けてる米軍人と戦い、勝つことが武道解禁の条件だったそうで、そこでの試合には柔道や剣道といったようなものをあらかた高い技術で習得している人が必要だった。このときの試合に出た人が「武術の達人」だったそうである。まぁ、こうしてぼくが再話すると面白くもなんともないが、甲野善紀さんの語りで読むとなんとも面白い。ある種、恐竜が現代でも生きていた、というような興奮がある。
何かができる人の話が必ずしも面白いわけではない。何かを追い求めている人の話が面白いのだと思う。甲野善紀さんは武術を探究している。ただ考えているだけではなく、現実に行動している。古い文献を探し、気になる文献を何度も読み返し、自分の身体をつかってためし、そこから発展させて体得していき、それを多くの人に伝えていく。この探究方向に「この人は凄い人だ」と思わせるものがあるのだと思う。
甲野善紀さんは、単なる武術ができるだけではない。それだったら、社会においての位置づけがもうひとつあいまいになる。武術を求めるだけではなく、介護における身体の使い方など社会の人に還元している。単に「おれはすごい」ということを顕示することが真の動機である人が多い中、「身体の使い方への還元によって探究結果を社会に戻す」という見識に、この人は本当に武術を探究しているのだなと感じるのである。