JR横浜線の車両の出入り口の扉に、この本の広告シールがあった。こんなところにまで宣伝しているのか。書店に立ち寄るくせがない人にこそ読んでもらいたい。そういう意図があるのだろう。ごく普通の人に向けた、誰でも読めそうな、クイズ番組をみるかような気軽さで勉強ができるようになる、というふれこみなのかもしれない。事実、何万部も売れたベストセラーだと耳にした。帯にある茂木健一郎さんの風貌もボディーブローのように購入しようかなという気持ちを後押していると思う。なぜなら、ぼくも買ってしまったから。
この手の本は読んだ後で後悔することが多い。というか、後悔しなかった事を思い出すほうが難しい。それでも懲りずに買ってしまうのだから、茂木健一郎さんの風貌には魅力があるだろう。ぼくが広告代理店関係者ならば、茂木健一郎さんには、勉強ができるようになる本の次には、見た目も身体も若返る本、ダイエットに成功する本を書いてもらえるよう工夫するだろう。全部を脳の使い方にからめてしまえば、それなりに理由がたつし、出版すれば絶対に売れるから。
買った本を手にしながら、しょうもない本なんだろうなと思っていた。電車の中で読んでしまったが、電車から降りるときには、読む前に想定したほどがっかりはしなかった。むしろ面白かった。題名から想定した内容とは少し違ったのた。というのは、この本は茂木健一郎さんの自伝ともいえるから。
時の人である茂木健一郎さんは子供の頃どういうふうに勉強したのだろうか。教育ママに限らず、だれもが興味を持ってしまうだろう。というのは、学者さんであっても、普通の大学教授と感じがことなり、ひょっとしたら自分も茂木健一郎さんのようになれそうな気がするだろうから。そういう、人の警戒心をとく風貌だから。もちろん、茂木健一郎さんと同じようにやってもだぶんダメなのだけど、参考にはなるかもしれない。そんな期待は誰も持ってしまう。
茂木健一郎さんは、要するに子供の頃からできたようである。この段階で、なんだぁ、でもまぁそうだろうと言って、本を閉じてしまってもいい。しかしせっかくだから、もうちょっと続けて読んで見た。茂木健一郎さんの勉強法は、特段変わったところがない。さして「めずらしい」ものではない。なんてことはない、要するに本を沢山読むことだといえそうだ。
本を読むのは自発的な行動である。強制されてやれるものではない。仕事上どうしても読まなければならないと重々承知している本であっても、読めないものはよめない。そういうことは誰でも経験があるだろう。嫌いなものは嫌いなのだ。だから、子供の頃に沢山読むことはのちのちその子にとって良い経験になるのだと分かっていても、読まない子は読まない。そういう子供だからしかたない。それでかたづけるよりないだろう。強制したところで、全く無意味なのだから。
勉強として、それ以外のことがいくつか提案されている。しかし、結局のところ、そもそも論まで立ち戻れば、本を自発的にどれだ読もうとしたかにかかっている。この事実におちるような。ロジックがものをいう世界で生きるには、結局のところを自発的に本を読む人かどうかで決まるのだな。
そんな感想を持った。