シリーズ2冊目。勉強の次は仕事。素直な流れだ。勉強法は面白かった。これも何かの縁だろうと思い、長津田で急行待ちをする数分の間で目に付いたこの本を購入した。帰りの電車で読み切れてしまった。
へぇと思わず言ってしまう部分が少なかったのだ。本を読むのに時間がかかるときは、著者の文章がぼくの呼吸に合っていないか、意味不明の単語が多いか、あるいは感心することが多いかである。すらすらと読め、内容に違和感がないならばすぐに読めてしまう。それはうれしいことではない。とても残念なことなのだ。発見や驚きや違和感がないならば、読まなくてよかったのだから。
もちろん、多くの人は面白がっているだろう。この本もそれなりに売れているはずだろうし。しかし一方で、似たようなことをぼくもやっているなと感じる人も多いのではないか。
じゃぁ、お前も書けばいい。そう非難する人もいるだろう。しかし、とりたてていうほどのことではないこと、みんなそうしているんじゃないと思っていることを本にしたいと思うだろうか。
こういうと、じゃぁ、なんでお前は茂木健一郎さんのように有名人じゃないのだと反論するかもしれない。それに対する答えは簡単である。茂木健一郎さんが推奨するようなことをしたからといって、茂木健一郎さんのようになれるわけではないからだ。もっというと、優秀な人や成功した人が「これでぼくは成功した」ということと同じ事を別の人が実行したからといって、その人が成功するわけでもなんでもない。成功どころか、その人を不幸にする可能性するらある。
ぼくは「似たようなこと」であって、同じことといっていない。自分バージョンになっている行動癖のそもそもの理由は、じつは茂木健一郎さんがこの本で語っていることこと同じことが理由にあるのではないのか。そう思ったのである。
この本は勉強法の紹介である。茂木健一郎さんの才能の一部でもいいから身に付けたいと思って、「マネ」するために読んでみようと買ったのかもしれない。しかし、それは間違いだろう。というのは一般に、「AをすればBになる」ことが、人間に関してはほとんど間違っているから。ある人がある事をできるようになる過程は実に様々な出来事の結果であって、計画して実行するようなものではないのだと思っている。
例えば、あることを「好きで」やるというアドバイスがあったとしよう。しかしそのアドバイス通りに行動できるものなのか。無理だろう。
あることを「好きでやる」。これは意志でどうにかなるものではない。好きになろうとがんばった時点で好きでやっていないし、仮に自分を騙す事に成功したとしてもそれは後々心の病というかたちで本人に逆襲をかけるかもしれないから。
人から学べることは、「なるほど、そういうこともあるかもいれないという気付きである。まずは試して、多分ダメだろうあらその次はどうするか考えてみるか。このくらいがちょうどよい。個人の身体や考え方は、あまりにも多様性が大きいので、万人に共通するアドバイスは「すでに知っているような」ものばかりになるはずなのだ。
じゃ、なぜこの本を買ったのか。その理由は単純で、『脳を活かす勉強法』が面白かったからであり、茂木健一郎さんの考える「仕事についての姿勢」を少し覗けるかもしれないと思ったからである。
では、それは分かったのか。少し分かった気がする。茂木健一郎さんはもはや仕事の内容そのものを追いかけてはおらず、何かを成し遂げたいという思いのほうが強くなっているということだ。
仕事って結局、そういう心理的動機と一体になってしまうのだろう。