『退出ゲーム』の余韻がまだ残っている。あんな感じの小説をもうちょっと読みたい。そういえば今年の「このミス大賞」に学園ものがあったはず。たしか、大森望さんは絶賛していた。さっそく嫁さんの携帯へメールし、パート帰りに買ってきてもらった。
この小説の視点は快活な女子高生で、内容は学園というよりその外の出来事について。狭い学校世界で人間関係に右往左往するだけの学園小説は嫌いなので、正直ほっとした。あまりぼくとは関係がないことが理由なのだ。物語を読むなら、学園の外の話の方が物語を読んだかいがある。
登場人物のキャラクターははっきりしていて、会話も面白い。扱っているテーマも楽しく読めるもの。なにひとつ暗いところがない、ルノアールの絵のような小説である。
キャラクターが明確で会話が面白い高校生ものだと、いわゆるライトノベルにちかいのかもしれない。『涼宮ハルヒの憂鬱』の面白さは「キャラクターありき」の「無意味さ」だったと思うが、こちらはハルヒ読者層よりも多くの人に向けた小説を目指していると思う。うまく表現できないけど。
この小説の最後が好きだ。いや、そんなにすごいことのない最後の一ページなのだけど、最後を書かないところがよい。書かないから読者の中でその結末が勝手に浮かぶのだ。小説の世界を自分が想像してしまったら、読者とこの作品との距離はぐっと短くなる。
こういうことは大切なことなんじゃないかと思う。恩田陸さんの『夜のピクニック』も最後の場面は書いていない。同じものを映画で見たときは最後まで映像化してあって、その陳腐さにがっかりしてしまった。
当然の結末というものはだれが映像化しても同じようなものだけど、映像化しないで読者の頭の中に映像を浮かばせた方が効果としては100倍以上違うだろう。普通の読者や鑑賞者は想像することになれていないけれど、誰が見ても当然という結末ならば適切にその場面を想像できる。結末を自分で想像した方が、その作品全体の印象は格段と増すし、読後の感動の幅も広がる。こういうことは、作る側が意図してやってほしいなぁと思う。
この小説のように、春の朝日見たいな読後感をもたらす作品をぼくは好きだ。ルノアールの言葉に「世の中嫌なことが多いのだから、なんでまた絵の中にそういうものを持ち込む必要があるのだ」というものがあった。だからルノアールはたくさんの明るい絵を残した。
ぼくは、小説もそうなんじゃないかと思っている。だから、読者に楽しい思いをさせてくれる小説が好きだ。考えさせられるとか、世の中の暗い一面を見せるようなものに、時間もお金も払いたいとは思わない。
とはいえ、少しは自分の幅を広げるのも悪くないかなと思う。今年のこのミス大賞のもうひとつは、その対局にある暗い現代社会の問題を扱ったサスペンスらしいから、そちらも一応読んでみて、今までとは違った世界も覗いてみるかな。
それにしても、この本の装幀はすばらしい。