村上春樹さんのエッセイ。ちょっととぼけたおじさんの挿し絵がぴったりで、著者のキャラクターがただよってくるような、気楽な読み物になっている。
内容は著者の日常の出来事や思い出であって、読むことで何かを学ぶようなものではなく、単におしゃべりを聞いているようなものである。猫が寝言で「そんなこと言ったって」と言ったんだと著者が言い張る話なんだから、楽しまないでどうする。甘いお菓子ような気分が味わえればそれでいい。
ぼくは村上春樹さんの感覚と重なることがほとんどないのだけど、それでもこのエッセイを読んでいると自分が村上春樹さんの視点になったような気分になれる。好きなんだ。
このエッセイの中の話でちょっと気になるところがあって、インターネットでそれを調べて見た。差別だの部落だのという話である。神戸育ちの著者はそういう話を中学生になるまでまったく知らなかったという。ぼくは東京向島育ちで、そういう話に全くピント来ないのは同じ。なんかあるらしいけど、今の東京でそんなことを気にしている人はいないだろうし、もし存在するとしてもその人は関西人なのだと思っているくらいだ。知識不足であり、今はインターネットでタブーでも調べられるので、どんな言葉が問題になったのか、ぼくも知りたかったのだ。
で、結局わからなかった。ただし、それを調べる途中で別のことがわかった。村上春樹さんって、すっごく嫌っている人が多いということ。なんでだろうか。とくに、嫌な気分になるようなことが描かれている小説なんてないのに。村上春樹さんが有名になるなんて許せない。おれのがもっと凄いだぞ。多分、そう言いたい人なんだろうけど、世の中の人にはおかしな人も結構いるんだとあらためて思った。
この本の魅力は、とぼけた感だろう。そして、小説家として肩ひじ張っていないものいい。「小説家=先生」なはずないと思うのだけど、どうしても偉い存在というコンセンサスがあるようで、小説家の人にはこちらが頭を下げなければならない雰囲気がある。
しかし、小説家が先生なはずはない。技術は凄いけれど、だからなんだ。
村上春樹さんの日常はぼくが想像できる範疇にある。生活に自由があり、うらやましくも感じる。とはいえ、その日常は普通の人が抱える問題と同じだし、同じような喜びがあるんだな。