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キリスト教は邪教です

フリードリヒ・ニーチェ
講談社
お勧め指数 □□□□■ (4)
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 ニーチェの本を読んだのは実に久しぶりで、二十年ぶりくらいだろう。さすがに、この翻訳ならばすんなりと読み通せる。本文中に不明な言葉などないので丸ごと分かった感がある。言わんとしたことがわかった。なんだ、そんなことを言っていたのか。いいやつじゃんかよ、ニーチェ。そう言いたいくらいである。
 とはいえ、この翻訳のできはどうなんだろうかと気になる。多少つっかかるところがあったにせよ、著者の意図を受け取れたと思っているのでとてもよい翻訳だけど、正確さは大丈夫なんだろうか。意味が分かってしまう哲学野本というのは少ないから、逆に心配になる。読んだその場から意味がわかる哲学の本はメッタにない。ぼくが知る限り、永井均さんの一般向けの本くらいだ。
 だから気になるのは内容の日本語への変換の精度。昔流行した「超訳」になっているんじゃないかと疑問もないわけではない。

 キリスト教がローマ世界を飲み込んでいく様子は、塩野七生さんの『キリスト教の勝利』に詳しい。蛮族の存在と生活の不安、とくに農業ができなくなり都市へ逃げ込んだ人の不安がキリスト教をコアとして吸い上げ固まっていく様は、どの時代どこの人々に起きてもおかしくはない。初期リスト教の布教者がどうやって人々の心を捕らえていったのかを知れば、宗教としてキリスト教を見る目は違ってくるはずだ。
 そういう成立の歴史を知れば、その宗教がいついかなるときでも意味を持つといことはないと自然に理解できる。社会的な状況が変われば必要なくなるものもある。しかし宗教側の人は流行りすたりで影響をうけると職業として成立しなくなる。だから、時代そって生き延びるために宗教の本来の意味がどんどん変容していく。その過程で、人の気持ちに安定をもたらしていたものが、いつしか人に物を考えさせない毒になってしまう。ヨーロッパにおける中世はそれが蔓延した時代だったのだろう。「そういうの、いつまでやっているんだよ」とニーチェは言いたかったんですね。なるほど。

 ぼくはスノッブぶるつもりないので、ニーチェはこう言った、などと口にすることはない。普通の人ならばそうだろう。だけど、だから関係ない、ということにはならない。学者じゃないのだから、人々に分からせたいのならば、分からせるように話す必要がある。この本のように、こういう態度で翻訳を試みたのは素晴らしいことだ。もっと、難解だからという理由で敬遠されている本もこんな形で再再出版されるといいのに。

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