岩波文庫版を読んだのは、自分の動機からもっとも離れた仕事をしていた時期である。今にして思えば、その仕事は良い経験だったと思うが、それでも当時はつらかったのだ。だからこういう本を読みたくなっていたのだろう。
その後『ローマ人の物語』など古代ローマ史について少し学び、この本が生まれた時代背景やセネカについて少し知ることができたために、今読んでみると昔とは少し違う味わいがあった。
この本の内容はセネカの友人へむけた手紙である。そんな仕事している場合なのか、人生は短いぞ。今でも日々誰かが誰かに向けて言っているような言葉が並んでいる。まったく、2000年前でも今でも、さして人の世は変わらないものなんだなと実感する。
さぁ、今から人生をスタートさせよう、と思った時にはもう人生の最後の曲がり角をまがったときなんだというような警句はどこにでも転がっているし、自分にも別の意味で経験則として持っている(学校卒業が近づくと勉強がしたくなるとかね)。
ということは、どんなにこういう本を出版して、学校で言い聞かせても「無駄」なことなんだ。つまり、人生の短さを実感するには、人生の最後にならないと原理的に無理なんだろう。青春期にこういう本を読ませても読まないだろう。
よく、歳を取らないと意味のわからない事がある、という言葉を聞く。爺さんの戯言と思っていたとしても、自分が爺さんになるとその言葉の意味が分かるということだ。子供や少年には分からない。セネカのこの本には、そういうことだけが書かれている。ならば、この本はこれからもずっと、つかれた中年から爺さんたちに愛され続ける本なのだろう。あと、年齢とは別に、精神的にも肉体的にも疲弊して、死を身近に感るようになった人も好まれるのかもしれない。
どんなに論理的に説明されても理解できないことの代表として、この本の内容がある。この理解出来ない理由は人の性質の一部なんだろうか。人生は短いぞ、と思っている生命体は人だけなんだろうか、という疑問をもつ。ありとキリギリスの童話にでてくるキリギリスは、人生が短いと知っていたからではないから夏を楽しんだのではないかとぼんやり空想してしまう。
それにしても、セネカの文章力には頭が下がる。人間の能力やできることという基準で人を評価するならば、2000年はなんの変化も人にもたらしていないような気がする。