JALの車内誌に連載されていたエッセイがまとめられた本である。結構長いこと続いていたようだ。さすがJALともなれば車内誌に養老孟司が登場するのかと感心する。
JALだからということか、最初のころは旅にまつわるエッセイを書いている。が、途中から、養老孟司さんの普通のエッセイになっている。昆虫だの都市化だのという、いつもの話題である。不思議と、そういう内容の方が読者としてはあり難いのだけど。
養老孟司さんのエッセイを何冊も読んでいくうちに、これまでの来歴を何となく知ってしまう。家族のことから、学生時代のこと、就職して教員になり、退職していろんな活動をしはじめるところなど、特に憶えようとしないのに憶えてしまっている。だから、このエッセイを読むと既に知っていることが語られているところに出会う。ただ、そのトピックが挿入されている文脈は色々なので、もう知っているよ、と思うことはない。語れている内容そのものよりも、なぜそのトピックがそこで登場するのか、その繋がりを読んでいるから、それはそれで面白いのだ。文章を楽しむというレベルではなく、文脈を楽しむ読書になっているのかもしれない。たくさん本を読む効用が、こういう現れ方をしているのかもしれない。
養老孟司さんの本を読むようになり、養老孟司さんの対談だの書評だのを読むうちに、気づけば茂木健一郎さん、内田樹さん、池田清彦さん、甲野善紀さんなどの本もよく読むようになった。どの人の本も同じように楽しめる。彼らは現実の世界でも中がいいのだろうと思う。
この傾向は何もぼくだけではないようだ。ブックオフではない普通の古本屋でセール品を漁るとそれがわかる。三冊五百円というようなガレージセールで販売している本は、仕入れたときの本のまま店頭に並べられていることがある。引っ越しかあるいは持ち主が死んだかして、売られてきた物なのだろう。店頭では段ボールやテーブルにまとめて置いてあるだけの売り方だったりする。そのときの並び方は、たぶん持ち主の本箱にあった状態に近いまま置かれているものがある。
こういうところで、例えば池田清彦さんの本を見かけるとする。おぉと思ってその周りをみると、茂木健一郎さんや養老孟司さんの著作がごろごろあったりする。ただ、ほとんどぼくは持っているので買うことはほとんどないのだけど、自分の趣味に近いなぁと思って愉快な気分になる。
もう何冊読んだのだろうか、と思う。でも、新刊がでたらまた買ってしまうだろう。本屋さんにとってはちょろい客になってしまっている。