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ロシア・ショック

大前研一
講談社
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 bk1.co.jp

 ひさびさに政治経済の本を読んで感動してしまった。ロシアについての本だったのだが、読んでいる最中からプーチンは古代ローマのトラヤヌスような人なんじゃないかという思いが離れなかった。賢帝のトップバッター。怖い顔をしているために、元KBGだとか独裁とか、そういうイメージと結びやすい。プーチンが大統領ということは怖い国なんだろうなぁとこれまでロシアのニュースを見ていたけれど、ぼくは本当のアホだったと思う。プーチンはやるべきとを全部やってロシアを立て直した凄い政治家なんだ。きれい事だとかみんなの意見を聴いてだとか、そういうおかしなことを主張する人手は無い。とても現実的な人だ。どん底にあるロシアを建て直すためには、ときには軍事的なことも必要だし、外交も必要だし、国内政策も必要だし、ということでおよそ考えられる全てのことを処理してきた。そして、今のロシアがある。司馬遼太郎が描いた時期のロシアでもないし、冷静時代のロシアでもない。現在のロシアは、資源として石油と天然ガスがあり、産業も高度なものがあり、人々の教育水準は高く、開発されていない場所も歴史のある場所もある。これ以上ないくらい今後が期待できる国ととして存在している。もちろん、過去の遺物はマフィアやだの汚職役人だのが存在しているという事実はあるにせよ、税制などの工夫し、軍をうまく使うことで8年でどん底から国をピカピカに磨いてしまったプーチンはすごい。
 ただそういうロシア像はプーチンのなし得たことなどについて、日本のマスコミを見ている限りわからない。この本ならば200ページ程度で概観できてしまう。さすがに大前研一さんだ。
 プーチンのなしたことをいちいち孫引きしても仕方ないので、結論だけいうと、彼は古代ギリシャのペリクレスであり、古代ローマのトラヤヌスのような人なんだろう。そうぼくは眺めることにした。歴史上、賢人がリーダになって「良い」と思われる社会を作り上げた人は何人もいる。軍人だから絶対にダメということはない。ただ、人であるかぎり賢い人は少ない。軍人にだって当てはまる。だから、賢い軍人が政治を担ったら、暮らしやすい社会が実現するのだが、そんな人はめったにいない、ということだ。
 政治がで国をよくしてくれた人など、ぼくが知り得る限りにおいていないし、ぼくが生きている間にはでてこないだろう。明治くらいまではいた「らしい」が、過去ならば、いろんな解釈が成立するだろうから、よいと言われた人がどの程度良かったのかはわからない。
 ところがプーチンのなしたことを知って、賢人な政治家というものが存在し得るのだと、理論上明白なことだったが、それを信じることができるようになった。うあぁ、いるんだ、凄い人が国のリーダになるということがあるんだ、という感想である。数世紀経つと歴史上の重要人物になるであろうプーチンをぼくは同時代の人として見ることができる。なるほど、ペリクレスは評判が悪かったという意見もあったのだろうことは現在の報道を見ていればわかる。しかし、そういう判断はたいていその場の感情や自分だけが偉いと思っている学者のものである。歴史の中で現在を捕らえている人には、ちゃんと現在に賢人を見出すことができるのだ。歴史を知るって大切だ。古代も中世も近代も、そして現代史も。

 試験にあまりでないからという理由で敬遠される近代現代の歴史を知っている人は少ないだろう。日本の社会人では皆無なんだろうと思う。だからロシアといえば、未だにソ連と変わらないと思っているかもしれないし、コメントすることとしては北方四島返還しか思いつかない。それが日本人の現状だろう。その理由はマスコミはそれしか放送しないからだと思う。あるいは、司馬遼太郎は日露戦争までを書いてくれたけど、近代の日本、現代の日本についてはあまり書いてくれなかったからかもしれない。佐藤優さんの本を何冊も読んだが、この本にあった視点でロシアを解説したものは無かったかと思う。佐藤優さんは博識であり、ロシアの政治の現場で生きてきた人だから、発言内容の信憑性は高い。しかし、経済という視点の解説は少ない。そもそも、思想史や宗教という観点んからロシアを見るのが仕事であり、好きなのだと思うで、ファシストがどうのこうのという貝瀬牛か書かないのは鵜名付けるが、それでは見えないものがお起き過ぎる気がする。

 日本の未来について、明るい出来事を想像することはぼくはできない。過去のどの時代よりも現代が物理的に生きやすいのは間違いがない。バカみたいにエネルギーが使える時代なんだから当たり前だ。物質的には幸せな生活があるにもかからず、未来については蔵予想しか浮かばない。それは、賢いなぁという行動をとる人が政治家に現れないからだ。いわゆるニュース番組は報道については、解説されるほうも解説する方も、バカに見えて仕方ない。どいつもこいつも、自分の仕事としていることについて、なぜ真摯に現実を見て、足りないところを勉強しようとしないのだろうか。不思議であるし、呆れてしまうこともある。ぼくがみる社会像は、マスコミがつくった風景でしかないから勘違いかもしれない。そうだとしても、役人だろうが政治家だろうが、なんで普通の人がいないんだろうと不思議に思う。だから、この生活が数十年続くとは思えないのだ。
 
 大前研一さんの本(この本やこれ以前の出版された本)を読むと、日本にもいろんなチャンスが転がっているのだなとつくづく感心する。これでもか、これでもかと日本という国が浮上するきっかけを世界中が与えてくれている。それなのに、マスコミも政治家も、そんなことを考えようともせず、「自分はいかに偉いのか」を主張しているだけである。もったいと思う。逆にいえば、「自分が偉い」ことを周りにわからせたいということが動機ではない人がリーダになれば、あっとういう間に国のレベルでよくなることがおきるかもしれないなとも思う。
 これに気づくと、なるほど国の少し先の姿は、偶然に左右されたものはなく、間違いなく今の人のなした結果なのだとわかる。今の日本でぼくはとても良い生活をさせてもらっている。しかし、ぼくらの世代のやった結果は少し先の日本として現れ、それは間違いなくぼろぼろなものだろう。一人ではどうにもできないし、ぼくには考察力も発言力もないから、その方向を止めることは出来ないだろう。

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