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自分の中に歴史を読む

阿部謹也
ちくま文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)
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 立派な学者さんの自伝というか、研究へと入っていた道のりを普通の人に、多分高校生くらい、向けた本を読んだ。戦前までの学問の世界は、立派な人たちが行っていたのだなと意外に思った。
 例えば、著者が20歳のとき、卒業論文のテーマについて指導担当教官の自宅!へ相談に行った時の話である。いまならば学内で見かけたら声をかけるか、教授室へ行くか、あるいは電子メールを使う。学生から見れば、どの程度偉い人なのかなど関係なく、教授は教授である。質問したら答えてくれる人、という認識だろう。ぼくはそうだった。ところが、相談は教授の家に行くのである。また、そのための連絡は葉書で書く!! びっくりする。偉い先生は自宅で会議などをしていることがあるらしく、著者が相談に行った時もそうだった。
 そこで、一つエピソードがある。学生として先生の家へ行ったっときに、先生は他の大学の教授達と会議をしていた。そのとき、部屋の隅で会議が終了するまで待っていることになったが、同席していた教授にみな挨拶をしたそうだ。偉い先生方が一人一人、東大の何とかです、といいながら。ずいぶんと謙虚なのだと感心する場面である。著者は、偉い先生は学生にたいしてもきちっと接すると感動している。学問に対する態度もみな真摯な態度である。本当にそうだったのだろうかと疑ってしまうが、そうだったのだろう。ぼくの時代から大分ちがうものになってきたのだろう。

 著者の態度でとても感銘を受けたことがある。それは、「わかる」とはどういうことか。これを正面から考え、格闘している。それを研究にまで高めている。そうそう、それこそが学問だよねと、読みながら頷いた。人によって「わかる」の定義は微妙にことなるようで、著者の先生は「変わるとは、自分がかわることだ」と言っている。著者は、「中世ヨーロッパがわかるとはどういうことか」をずっと考え続けていた。何をしていいのかをそこから考えているのだから、数ヶ月活動を続けても結果はできない。まったくもって、感心する。そうだよそう、と言いたくなる。ぼくだって、今のぼくだってそれと格闘しているのだから。著者は立派な先生であり、ぼくとは大分違うのだけど、それでも学生時代の態度にとても親近感をもってしまう。
 自分のなかに歴史を読む、というタイトルの本であるが、それは自分の来し方を眺めていることだ。著者についてほとんどしらないが、中世ヨーロッパの研究について、著者がどういうとかかかりをしたのか、どうやってテーマを見出し、それにのめり込んでいったのかを、歴史として語ってみたのがこの本なのだ。自伝というものは大抵「自分が以下にスマートにやってきた、偉い人なのか」をそれとなく、あるいは大々的に協調する物が多い。もう、うんざりするものも結構見陰るが、こういう自伝を読むとほっとする。偉い先生にも、立派な人がいるんだと安心する。そうでもないと、なにが学問だと言いたくなってしまう。
 研究というのは、自分に対してなぜと問い、自分が自分を完全になっとくさせようとあれこれ手を尽くすことが基本になる。研究テーマとうものは、かならずしも最初からパッケージとして存在するものではなく、あれこれ何でいているときに、ふとしたことが目に入り、それを糸口に発展させながら、気づくとすでに研究の中にいる。自分の前に研究はなく、自分の後に研究がある、というような行動の結果として定義でそうなものである。もちろん、オリジナルが大事だとか、他の人の研究成果を踏まえるとか、そういう手順があるのは確かだが、そんな面倒なことをやる最大の理由は、自分がこころから疑問に思ったことを自分に教える過程なんだということだ。

 理系、文系という区切りがフレームワークとしてすでに頭に存在し、理系できたぼくには文系のやることの意味がよく理解できないできた。それって、学問なの?研究なの?という思いが常にあった。しかし、学問のそもそもの動機が、自分が抱いた疑問だということであり、それに答えを見つけようとする行為が研究であるとするならば、文系も理系もないだろう。そこには「なるほど」を求めて活動する人がいるだけである。そして、それはかならずしも生き死にに関係しない、平和で幸せな生活の一つの形なんだろう。

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