英語は多読が一番!
英文の原著を読んでいて、その本の内容について続きが知りたくなっていたら、英文で本を読めてきたのだとある。ナルホドそうかもしれない。まず「英語」があるのではなく、内容に意識が向かっているのならば、伝達の手段としての英語はすでに消えている。つまり、道具と化したということなのだから。 そんな状態に達する一番良い方法は、とにかく英文を読むこと。この本のタイトルはそういう意図をストレートに表現しており、裏も意外性もない。直球の主張であるだけに分かりやすいけど、これで一冊作っていいのだろうかという疑問も抱く。英語は勉強するな、というようなタイトルを付けて売り出した本もあったが、あれは半分引っかけでだったので、この本のタイトルの方がいくぶん正直ではある。しかし、正直であるがゆえ、面白みがない。 本を読むという努力を最小限にしたいからこういう本を読むのである。そういう本に、とにかく努力しろという正論をぶつけても、読者の期待と内容がかみ合わない。読者としては、そりゃそうだろうよ、と思うだけである。皆さんこの本を読んで英語の本を多読するのであろうか。それはないだろう。言われんでもわかっているから。「なるほど、多読しなければダメか」と驚く人はあまりいない。物事で上手になるには数をこなすことが近道であり、それは経験則として大抵の人は理解しているからだ。水泳や陸上の本を新書で読んでも無意味であることを知っている。 そういうことを考慮しないこの本は、新説にも参考文献をリスト化して提示してくれている。使われている語彙やストーリーの面白さで推薦書を挙げてくれている。やさしい先生のような行為である。生身の人間でなければこういう教え方もありだろう。しかし、読者は現代人である。しょーもない人ばかりである。この本を読む人が、つまり新書を読んでいる人が、そういう地道な努力の指針を求めていないだろう。地道にできる人は学生時代にそれをやっているはずで、そういうことができない人だから新書を読んでいるのである。英語を含む外国語の本はかなり出版されているが、それが効いたという話を耳にしないのがその証左である。著者が悪いわけではないが、編集者のセンスが相当悪いよなぁ。 そう思っていたが、勘違いも甚だしいのは自分であった。この新書は子供向けであった。だから、数をこなすという必然を知らない人向けの本なのだ。だから、これでいいのかもしれない。いままでプリマー新書は、内容として年齢を問わないものが多かったのだが、この本はこの本の内容通りシリーズのコンセプトを直球で受け止めて書いたものなのだろう。 |
