教養があるとはどういうことか。
世界における自分の立ち位置を知っていること。
なんだ、そうか。そう言ってしまえばいいのか。歴史を知っていることだとか論理的に考え行動できることとだか、そういう知識やスキルに関係することじゃないんだ。「自分とは一体何なのだろうか」という普遍的な問いに答えに対する最適解のようなものじゃないか。
こんなことを知ったおかげで、知識があるとかないとかあるいは頭が良いとか悪いとかに対するコンプレックスが解消してしまった。
どんなに知識を身に付けたところで、自分の凄さばかりに目がいっている人というのは、教養がある人とはとても言えない。中世史を知っていても文学に詳しくてもバカだと一刀両断してしまうことだって可能なのだ。
一方で、自分の置かれた世界、それは歴史的な意味でもいいし、科学的な意味でもいいし、社会的なあるいはコミュニティー的な意味でもいいのだが、その中での自分の立ち位置を理解している人は教養がある人と考えてかまわない。知識の量とは関係がないからだ。だから、年齢や学歴が指標にはならないのだ。
教養の量を比較することに意味がほとんどないことに気づく。教養を誰かと競うなどということが、もはや勘違いなこと。日本人のほぼ全ての人が教養という言葉の意味を誤って理解しているのだろう。
本を読む楽しさは、こんな気づきにある。そんな機会を持てることにある。だから、本を読んで勉強することに終わりはない。