ぼくの会話学校
森本哲郎さんの小説である。え、小説?紀行文でも思索でもなく? そう、小説。とはいえ、トレンディーなものでも、いわゆる小説家が書くような小説でもない。かなり古い翻訳もののような小説である。こんな感じの小説はこれまで読んだことがない。現代風の小説を読み混んでいた人だと、なんだか恥ずかしくて読み通せないかもしれない。小説の体裁をした絵本といえばいいだろうか。 だからといって「おとぎ話」ではない。登場する人やストーリーは魔法使いのような幻想物語ではない。会話が下手、口下手な男が主人公で、これじゃいかんと思っているときに会話学校の広告を目にし、そこへ通うことにした。おしゃべり、とくに同世代の女の子と話しができるようになりたいという目的であったが、同級生やおかしな講師陣に翻弄されながら次第に会話というものを学んでいく。そういうストーリーなのである。珍しいわけでもひねりがきいているわけでもない。現実感がないキャラクターが幾人も登場し、そんな学校はねぇだろう、と感じるおかしな話なのだ。言ってみれば昭和のファンタジー。主人公は森本哲郎さんの若い頃なのかなと思ったが、実際はそんなことはないだろうけど。 だからといって、つまらないわけではない。物語はリアルかどうかが大切なのではない。引き込まれるかどうかだ。スリルもサスペンスもロマンスもないから、寝る前にちびちびと読むにはちょうどよい。安楽である。実際、そういう読み方をした。なので読み終わるのにずいぶんと時間がかかった。それでも、森本哲郎さんの本なんだなぁ、と感じた。森本哲郎さんの旅行記や思索の過程を綴った本を読んだことがない人がどんな反応をするのか全くわからないけれど、ぼくにはいい感じがした本だった。 ところで森本哲郎さんは実際のところ話し上手なのだろうか。この本で学んだことは箇条書きにまとめらないが、この本で伝えたいこと意図した方法は森本哲郎さん自ら得た教訓なのだろうか。冷ややかな目で見れば、その教訓を身に付けたからといって会話が上手になれるとは思えない。ヒントにはなるかもしれないが、所詮は技術だから実践を積んで、しかもそれらを楽しむようにならないと会話が上手になることはないだろう。そもそもマニュアルなどは成立しないと思う。この小説の登場人物は決して会話が上手になったとは言えないだろうが、自然と言葉をだすような気分は見つけているから、学んでいく道筋のようなものを示すところが本でできる最大限のところであろう。つまり、会話とはなんなのだろうかを思索することが本できる差一杯一杯のところで、それを越えてマニュアルのような説明をしはじめると哲学者がよくやる抽象的な言葉を積み重ねることになり、何をいっているのか意味不明になってしまう。だから、小説のなかの主人公が工夫していく様子を描くのが精いっぱいで、その程が小説になっているのだろう。 これは主婦の友社の雑誌の連載小説だったようだ。昭和の主婦の読みものだったのか。なんだか安心した。買い物とエステといった、欲望を拡大させるだけの情報しかない雑誌しか日本の普通の主婦層が手にしないだろうけど、ちょっと前の人の人の関心事には、自分が何かをできるようになるということもあったのだ。そう言えば、森本哲郎さんの著作に、『ぼくの作文学校』という小説がある。この本とおなじような若者が文章を学んでいく過程の話である。きっと、一連のシリーズだったのだろう。 |
