スティーブジョブズについての本は最近何冊も出版されており、ぼくも何冊か読んでいる。有名な言葉やエピソードが数多くある人でも、さすがに何冊分もの本にはならないだろうから、この本で語られるであろうエピソードはすでに聴いたことがあるものばかりになるだろう。なのにこの本は新刊だからといって買ってまで読むべきだろうか。普通ならば読まない。しかし、著者が林信行さんならば、さすがに自分の本と重複することは書かないだろうし、新たに出版する意味がある切り口が見つかったから新刊で出したのだろうと思うから買ってみた。
面白い。ジョブズのことを書いているのに、なんだから人生論になっている。というか、これは林信行さんの人生論なのだろう。その題材はジョブズのエピソードと言葉から取ってきている。確かにジョブズには感動的な実例にはことかかない。ただし、著者に冷静さがないと教祖礼賛におちるが、この本はそうではない。あくまでも理想的な生き方の一つとしてジョブズを探っており、それを読者に語りかけることで止めている。下手な人生論よりジョブズの名言集ということである。
カリスマはカッコいい方がよい。若い時よりも中年の渋さの方がよりカリスマ性が大勢の人に受け入れられるだろう。若々しさよりも、きれい事よりも、スマートな探究者として多くの人のロールモデルとなれば、崇めることよりも目標となる。ところが日本でのカリスマは、「俺は偉い」ということを示す人だったりする。その違いは注意が必要だ。外見的には偉そうにしようとする、他人を威圧する、そういう態度や言葉を取りがちだから、よくみればすぐに見分けられる。具体的にはその人が誰を見ているのかをみるのである。日本のカリスマは周りの視線をつねに追っている。
何かを目指した探究者の目線は外に向けられている。その人を見ていると自然にこちらの視線もその先にあるものに向けられる。そして、そこにはいわゆる理想的な物が見えてくる。理想は人によって様々だが、その先にあるものは言葉で表現されることが多いので、見る人それぞれが適当に思い浮かべることができる。ならば見ている人みな楽しい。ジョブズにはそれがあるようだ。
ジョブズの言葉にはなんだか仏教的な響きをもつものがある。それが仏教に由来するものなのか、どんな社会でも似たような言葉が存在するものなのかはわからないが、例えばこんなものだ。今日が人生最後の日だとしたら、あなたは「それ」をするだろうか?と自分に問うてみる。この言葉はスマナサーラ老師の本で読んだことがあるので、おそらおくは釈迦の言葉にもあるのだろう。一方で、レオナルド・ダ・ビンチも「一日の良き過ごし方」について似たようなことを言っているので、ヨーロッパにも古くからあるのだろう。だから、どこの世界にもあるのかも知れない。
知識としての格言をたくさん知っている人はたくさんいるけど、実際にそれらを行動に反映させたことがある人は少ないだろう。今日が人生最後の日ならば、という行き方もじゃぁ実際にやっているのかと言われるとほぼ全員やっていないはずだ。実践しない格言など知っていても意味がない。他人に説教するだけの道具でしかない。それはジョブズだって同じことだ。
とはいへ、ふつうの人の利用方法は、365日そうするのではなく、ここぞというときに実践するというものだろう。この本にはジョブズのそんなエピソードが紹介されていた。今の奥さんとは、スタンフォード大へ講演か何かで行った時に知りあったそうだ。感じのいい人だと思ったのだけど、その日はビジネスミーティングがあるのでそうそうに帰る必要があり、駐車場のところまで行ったのだが、そのときに言葉が頭に浮かんだそうだ。今日が人生最後の日ならば、ビジネスミーティングよりもあの女性と食事でもするべきではないかと。なぁるほど、しかしそれって格言をもっていると胸を張って言えることなんだろうかと躊躇するのだが、ぼくは。
ジョブズは技術者ではないし、デザイナーでもないけれど、みんながどこへ行くべきかその方向を示せる「ディレクター」ではある。そして、それを実現させる実際的な組織の経営者でもある。さらにそれを「かっこよく」できる。日本で紹介されるカリスマ社長はくちでは色々いうけれど単に高価な服を着ていることがおしゃれだと思っているオッサン経営者ばかりに見える。ビトンのバックを崇めている女子高生と中身は同じなんだろうなぁとぼくに教えてくれているような人ばかりだ。そこいくとジョブズの存在は、ぼくのようなオジサンにも憧れるような人であり、そういう人がいてくれてとてもうれしい。ただ、じゃぁ、ぼくも三宅一生の黒いTシャツを着ようとか思ってしまうところが、ぼくのダメなところ。あの出で立ちはアップル製品のテーストそのものであり、ジョブズこそアップル製品の一つのイコンなのだと納得するのである。