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あしたへの旅

森本哲郎
ダイヤモンド社
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 小宮山書店ガレージセール

 気がつくと森本哲郎の本を読んでいる。それも古い本。古びた本だとブックオフには並ばないので、神田にある古本屋のワゴンセールス品の中から見つけてくるか、アマゾンマーケットプレースかで手に入れる。偶然に出会うとその日は一日ニコニコできる。

 この本の内容は旅での思索である。巡る場所は有名な観光地のときもあるし、60年代、70年代ではおいそれとはいけなかったような中東やアフリカの街のこともある。今ではマラケシュやカサブランカといった場所は森本哲郎さんの読者であるぼくには気がしれた場所になっている。フランス語ができないから、実際行ったらひどい目にあうだろうけど。それでもダマスカスの宿や砂漠を走るバスのなかで風景を見ながらぼんやりと考える、なんてことはいつかはやって見たいのだ。森本哲郎さんのように、そんな場所で歴史であり哲学や文明論をずっと思索してみたい。
 森本哲郎さんの語る知識は、教科書や学者の書く本から学んだに違いない。しかしそれを森本哲郎さんが語ると普通の人のなじめる言葉になっているから不思議である。哲学とは自分で考えることであるから、考える人が旅という現実の中で行動していさえすれば抽象的な結論などはでてこない。そして、その結果を旅の風景からの連想によって読むことができる。旅での風景やその街の空気を感じながらの言葉には、ある種のルポルタージュ感がある。現代では行きやすくなった場所もあるし、逆に紛争地帯になって入れなくなったところもある。そんな場所を思い出しながらの書斎にて執筆しているのだろうが、それを読む愉快さは森本哲郎さん以外の本では読むことは不可能なのだ。どうしてだろう。

 何かを考えるには、それなりのきっかけが必要である。妄想にだって必要だろう。森本哲郎さんの旅は、そのきっかけを見つけるための行為といえるかもしれない。文献では気づけない「その土地の人の生活」のなかにあるものを求めているのかもしれない。旅先では感受性の感度はギリギリまで高まるだろうし、世界史も世界文学も頭の中にあり、英語とフランス語が日常会話レベルで話すことができれば現地で弾き出せる情報量は普通の人の観光旅行よりも遥かに多いだろう。なにせ、現地の人と話せるのだから。
 この本では、旅の途中で日本の精神とドイツの精神とを探っている。日本については宮本武蔵を例に考察している。ドイツについては、ヒットラーとヴィトゲンシュタインを対比させながら考察している。どちらも最近の雑誌には掲載させることがないようなレベル話である。一昔前は、こんな記事が普通の雑誌に載っていたのかと思うと、なんだか変な時代に生まれたものだと感じてしまう。ただし、この本は旅の本なので、この考察は旅に出たときに感じる「日本とは」とか「ドイツとは」という思索の一つに過ぎない扱いなのだが、対比列伝のようなものがあると近代史も興味深く読めそうだ。

 旅の思い出を綴るのは、自宅の書斎であろう。緊張感などはもう記憶の中であり、感じることは難しいはずだ。それなのに、この本での思索はその場所でなされているような気がするから不思議なのだ。思索についても、書斎で膨らませて図書館で資料を確認したりしているのはと想像する。だから、実際の旅以上に実りの多い旅行記になっているのであろう。こんな旅をして見たい。ハラハラどきどきや冒険などは他の人に任せておき、ぼくは思索の旅をして見たいものだと未来に思いをはせるのである。